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母の手紙と私たちの覚悟。

 あるお母さんからお手紙が来た。昨年の秋からここのねに通ってきてくれている中学一年生の男の子のお母さんだ。先日大分県教育委員会で「ここのね自由な学校」として60分間発表をさせてもらう場を頂いた。それに向けての準備をするなかで、「ここのねに通ってくれている子どもたちや親の想いも届けたい」と思い、お母さんにお願いしたところ、長いお手紙を書いてくれた。

 ブログで紹介させてほしいとお願いしたら、ぜひと言っていただけたので、この記事で紹介していきたい。

 はじめは、わが子が突然「学校に行きたくない…」と言ったときの正直な気持ち、焦りや悲しみが書いてあった。

 あの日の事は、決して忘れられません。小学5年生の3学期が始まってすぐの朝、朝ご飯の準備をしている私の横に息子が来ました。「お母さん、僕、学校に行きたくない…」今まで見た事のない、悲壮な表情でした。とにかく理由を聞くと「授業がうるさくて集中できないし、クラスのみんなは僕を仲間と思ってない」と。そのままの理由を学校に伝え、その日は学校を休ませました。
 日中に担任の先生が来て話をして下さり、同級生による話し合いもして下さったようです。翌日からは学校に行きましたが、結局授業がうるさい事や仲間外れにされる事は変わらず、行きたくないと言い続け、午前のみや午後のみで登校させたりしていました。学校に行かない間も、学校からの宿題はしっかり終わらせて提出していて、私に、「エジソンみたいに学校じゃなくて家で勉強したらダメなん?」と質問してくる事もありました。それでも私は学校に行かせなければ!と息子が泣いて嫌がっても数時間だけでも登校させました。

 息子のYくんが通っている学校は小規模校で幼稚園からずっとクラスが変わらないため、人間関係も固定化してしまっているという状況もあった。他に選択肢もなく、みんなが知り合い同士の地域の中でお母さんが「学校に行かせなければ!」と思うのは自然なことだと思った。

 無理矢理登校させ続けるうちに、家に帰ってもゲームなどの好きな事をせず、床にゴロゴロしながら、虚ろな目で内容が全く頭に入っていない様子でテレビを見たり、ご飯をあまり食べなくなり始め、ジワジワと痩せ始めました。そこまで息子が追い詰められてやっと、あぁ、もう限界を超えてしまってるんだ、と気付きました。
 そこから私は毎日泣いてばかりいました。学校へ「今日も行けないのでお休みさせます」と連絡する時に泣き、通勤途中の車の中で、学校へ行けない息子が可愛そうで泣き、同級生に勉強の機会を奪われた事が悔しくて泣き、帰宅してからも、ご飯を食べずに笑顔の消えた我が子を見て、追い詰めてしまった自分が情けなくて泣きました。

 この文章を読むとどうしても涙があふれる。限界を超えてしまったYくんの気持ち、それを見る母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。わが子が不登校になったら、親はどうしても自分を責めてしまう。どんなにつらかっただろう。そして、今も同じ思いをしている人が、この日本にどれほどいるだろう…と思う。

 そんなある日、長男が不登校の講演会のチラシを持って帰った事がきっかけで、不登校児の親の会に参加する事になりました。そこでもやはり私は、話を聞いて貰いながら泣いていました。そんな時、オルタナティブスクールを作ろうとしている奈菜絵さんが親の会にやってきて、ここのね自由な学校のチラシをくれました。連絡先も交換していただき、親子でここのねに参加してみる事にしました。

 初めて親の会でお母さんに会ったとき、息子の様子を話すお母さんは、涙ぐみながらYくんのことを話してくれた。そのとき、まだここのねは始まったばかりでまだまだ場所も全然整っていなかったけれど、とにかく一回でも来れたらいいな。そんな気持ちでお母さんにチラシを渡した。それから約3か月後、ここのねの活動に親子二人で参加してくれた。

 その日は、ここのねの畑に種を蒔いたのですが、以前から祖父母のトマトハウスを手伝ったりしている息子はとても張り切って土を耕し、近所の方が珍しいニワトリを飼っていると聞けば「見に行きたい!」とその家にお邪魔し、焼き芋をする事になれば走り回って枯れ枝を集め…家でゴロゴロしている様子からは想像出来ないくらい活発に行動していました。
 「ここのねに、また行きたい?」と聞くと、「行きたい!」と即答したので、学校と相談してもう何回か活動に参加する事にしました。相変わらず食欲はありませんでしたが、家で好きな事を少しずつするようになり、ゴロゴロする時間も短くなり始めたある日、私と話をしていた息子が片足で立ち、両手を挙げながら体を傾けて「ズコォ‼」とずっこけました。おちょけるなんて、久しぶりで、自分を少しずつ取り戻している気がしました。「息子がおちょけた!」と、とても感動しました。

 この日のことは忘れない。緊張した面持ちでここのねに来たYくんは、午前中ひたすら持ってきたゲームをしていた。ほとんど話もせず、一人静かに外のベンチに座っていた。でも、畑の種まきが始まると何も言わずにさっと畑に入り、みんなと一緒に活動を始めた。それでもその日はほとんど話さずに帰った。

 二回目に活動に来たとき、驚くほどたくさんしゃべる彼がいた。二回目、三回目と来るたびに笑顔が増え、おしゃべりが増え、「ズコォ!!」とおちょける彼がいた。お母さんも「息子がおちょけたんです!」と嬉しそうに話してくれた。(その頃書いた記事はこちら↓)


 ここのねで自分を認めて受け入れて貰えるようになり、自分の居場所を見つけた事で、息子は自分らしさを取り戻しているんだと思います。学校の事は一切話しませんが、ここのねでの事は話して知らせてくれます。楽しくて、学校で溜めたストレスがここのねで無くせるそうです。息子と話して、月2〜3回、ここのねに行く日を設定するようになってからは、食事も摂れるようになり、今はぽっちゃりしています。
 息子の元気が出ると、私も元気が出始めました。家ではまだ泣いたりしても、親の会では泣かなくなり、息子のここのねでの様子をスマホに送って貰い、それを親の会の人に見ていただきました。親の会の人から、「お母さん、泣いてたころと全然表情が違うね」と言われるようになりました。私は、ここのねに出会って、救われました。息子に居場所が出来て、安心しています。最初は学校を休む事を渋っていた主人も、最近では「明日ここのねで弁当作る日やろ?何時起き?」と聞いてくれる等、理解し応援しようとしてくれています。多分、私と息子の変化を感じてくれているのだと思います。

 息子の変化にお母さんに笑顔が戻り、それがお父さんにも伝わっていったんだなぁ。「自分らしさを取り戻す」ここのねがYくんとお母さんにとってそんな場所になれたのなら、こんなに嬉しいことはない。

 息子は学校を欠席する日も、前もって宿題を聞いて帰り、必ず宿題を提出します。ここのねと中学校の両方に通っている状態ですが、中学では生徒会本部に入るという役をクラスで引き受けました。欠席する日は他の役員に負担をかけてしまっていますが、登校した日は、本部の役割をしっかり果たしています。決してサボっているわけではないし、本人なりに前に進もうともがいています。最近、また毎日のように「学校に行きたくない」と言っていますが、今度は私は無理に登校させず、ここのねで活動する日を優先させるつもりです。公立学校以外の場所で学ぶという自己選択をした息子の気持ちを尊重したいと考えています。
 この文章を作成しながら、また泣いてしまいましたが、不登校の生徒も親も、苦しんでいる事を知って貰いたいです。行きたいのに行けないから苦しんでいるのです。ここのねのような学校と出会えて、救われたと感じてていても、やはり苦しいのです。それでも私達親子は、ここのねに出会えて救われています。他の苦しんでいる親子の方にも、ここのねの存在を知って貰いたいです。オルタナティブスクールに通う事が特殊な事ではなく当たり前の事になって欲しいです。

 Yくんはとっても頑張り屋でまじめで優しい少年だ。だからこそ、きっと「学校を休んでいる自分」を人一倍責めているだろうし、友だちや学校に迷惑をかけてはいけないと思っていると思う。だからこそ、宿題を必ず提出し、生徒会の役員になって学校でも頑張っている。そんな彼は決して「サボっている」のでも「弱い」のでもない。

 「公立の学校にいけない」のではなく、「公立の学校には合わなかった」というだけなんだ。でも、その他の選択肢が本当にないのが現状である。そして、選択肢が見つかっても、嬉しくても、「やはり苦しい」というお母さんの正直な気持ち。それは、オルタナティブスクールがまだまだ認知されておらず、国からの支援もほとんどなく、特に地方では、社会的に認められていないということが大きい。

 しかし、子どもたちを取り巻く現状はまったなしの状況だ。不登校の数は、毎年数万人単位で増えている。今でも全国で居場所を求めている人はたくさんいる。
 そして、近い将来、自分に合った学び方を選択できる世の中が必ず来ると私たちは感じている。


 「将来は大工さんになりたい」と言って、ここのねの場所づくりもたくさん手伝ってくれたYくん。

 先日、一カ月の体験期間が終わり、三者面談をした。「これからもここのねに通い続けたい」という力強い意思を示してくれたYくん。Yくんが活動に戻った後、お母さんがこっそりと教えてくれたことがある。それは、彼が「どうやったらここのねに通い続けられるのか」を一生懸命考えているという話だった。そして、彼は、「ここのねのスタッフになってここで働けば、ずっとここのねに通えるじゃん!」と言ったそうだ。

 それを聞いてお母さんと二人、また泣いた。「出会えてよかったです。これからも末永くよろしくお願いします。」そう話して、ここのねの三人目の生徒の入学が決まった。

 ここのねに来てくれた一人ひとり子たちと、人生を共に歩む。楽しいときも、苦しいときも。

 その覚悟はもう、揺るぎないものになっている。

 

 



ここのね自由な学校は日本の法律上、公的な支援が受けられません。それは回り回って子どもたちの経済負担に重くのしかかっています。ここのねを「誰でも通える学校」にするため、ご支援をよろしくお願いいたします!ご支援いただいたお金は、給付型奨学金や施設設備の充実等に利用させていただきます!