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織田信長とはなんだったのか③〜金融による日本一統〜

こんにちは。ココノエです。
今回は、下記記事の続きになります。最終回です。
織田信長とはなんだったのか①〜新たな大名の形〜
織田信長とはなんだったのか②〜お金の話〜

織田信長の考える豊かさ

織田信長以前の武士、大名が考える豊かさとは、土地の広さ、その土地を配分することでの封建的大きさがどの程度か。そのため、実体の土地の大きさとそこから獲れる収穫量が彼らの言う豊かさです。つまりは、どれだけ多くの土地と米を持っているかになります。
一方、織田信長の考える豊かさは、土地、米を持っていることではなく、どれだけ経済の循環が自分の経済圏で太く、円滑に流れているかということです。そのため、織田信長にとっては、土地の大きさは当然重要ですが、それは配分する土地の大きさという意味合いよりも、自身の経済圏が広がることでより経済の循環が太く、円滑になるかということだったのではないかと思います。実際に、織田信長の考える豊かさにおいては、実体である土地だけではなく、他のものが褒賞として配分されることになります。

織田信長のレバレッジ

ベンチャーであれば初期フェーズで有能な人材を登用したり、結果が出た際のお金以外の分配としてストックオプションが使われることが多いと思います。
これと同じ現象を織田信長も行います。織田信長は、土地だけでなく、戦などで功績を与えた人材に、太刀や茶器を褒賞として分配します。自分は昔何故命懸けで戦った褒賞が太刀や茶器で満足するのかがわからず、当時はそんな文化であったのかと思っていましたが、そうではなく今のベンチャーに勤める人がストックオプションで一攫千金を得ようとする心持ちと全く一緒の動機なのではないかと今は考えています。第2回のお金は信用の話でしたように、お金の本質は何らかの信用によって価値が生まれています。これと同じロジックで織田信長は、太刀や茶器=お金、お金の信用=織田信長の信用、と自身の信用を運用できる形として、太刀や茶器を使っていたのではないかと思います。つまり、太刀や茶器を持っているということは、織田信長という株をもらっているイメージです。
この結果何が起きたかと言うと、織田信長だけが、他の大名は実体の土地を元本にした軍事動員しかできなかったのに対し、信長だけが実体としては存在しない信用を動員力に変える形で戦ができるようになりました。いわば、織田信長だけが軍事レバレッジをかけた状態で戦争をしているような状況になり、一気に一国の大名から(正確には守護又代から)戦国の覇者に上り詰めました。

最大の敵一向宗、利害の外にある信仰心

そんな信長ですが、めちゃくちゃ苦労した最大の敵が一向宗です。最終的には勝利しますが、決着まで10年を要しました。
この一向宗ですが、ある意味信長とは違った形でレバレッジをかけて戦っています。それは民衆の信仰心です。
信長は現実の世界の中の論理ではほぼ唯一といってよいほど熟知した大名でしたが、その最大の敵がその外側にある信仰心をベースとした相手というのは、俗世対信仰という、西洋でも神聖ローマ帝国皇帝と教皇でやりあっていましたが、日本でも同じようなものはやはり起きていたのだなと、面白かったです。

さいごに

信長のその後は皆さん知るように、信長は明智に打たれ、その後を継いだ秀吉は上記の仕組みを理解していたので、すぐに信長の信用崩壊を、秀吉の信用に置き換えることで日本を統一しました。その後の家康はどちらかというと統一を諦め、連邦国家にすることで争いをなくした(実際は家光の頃まで試行錯誤ですが)ような流れと思います。
個人的には、信長、秀吉の方針のまま日本が統一されていた場合、どうなっていたのだろうかと興味がありますが、歴史にifはないそうなので、この記事はここで終わります(全3回)。

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