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源頼朝の凄さとは何なのか

毎週鎌倉殿の13人を楽しみで見ているが、北条義時が主人公のため、どうしても頼朝がしょぼい人物に見えてしまう(義時が主人公な以上頼朝が凄い人だと誰が主人公?になってしまうので仕方がないが)。

頼朝好きな私としては何とも悲しいので、頼朝をフォローする記事を書こうと思います。

ジパング深層海流から見る頼朝の凄さ

この時代(平安から鎌倉に移り変わる時代)を描いたとても好きな漫画に、かわぐちかいじ先生の「ジパング 深層海流」があります。

この中の頼朝像が私の思う頼朝像にとても近いのでぜひ読んで欲しいのですが、この中で頼朝は源氏に生まれた異形という形で描かれています。この異形とは何かがイコール彼の凄さとなっています。

結論から言うと、この凄さ(=異形)とは、頼朝の考え方が、既存の価値観や常識の延長上に現状を打破し得る最適解があると考えず、そもそもの視点変えるべき先に解があると考えたことにあります。

頼朝以前の武士の強さとは、彼の父義朝や叔父の為朝を見るに、「個人の武勇や戦での強さ」であると考えている風に見えます(為朝の弓矢1本で船を潰したことが伝説になることなど)。しかし、頼朝の考える武士の強さは、そうではなく、「いかに多くの武士(人間)を動かせるかが強さ」であると考えてるように見えます。そのため頼朝にとっては個人の武勇や戦での強さは重要ではなく、いかに多くの武士を動かすための政治が最も重要な要素となります。その結果として、武士の強さがいかに多くの武士を動かすかという問題を突き詰め、最終的に武家の政権としての鎌倉幕府に辿り着くのは頼朝の考える強さを追い求めれば当然の帰結だったと思います。

■さいごに

この既存の価値観、常識の延長上に現状を打破し得る最適解がないという考え方は特に今の社会に必要なものであると思います(恐らく変革期に差し迫った時代に必要な考え方であるので)。とはいえ、明日の会議の場でいきなり使えるかと言うとなかなか難しかったりするので、まずは個人の頭の片隅にでも入れておこうと思っています。

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