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貴族とは何かを考えてみた

こんにちは。ココノエです。
よく社長など人の上に立つ人間の不祥事などが報道されていますが、これらを見ていて貴族(人の上に立つ人)と自由について、個人的に思っていることを投稿します。

2つの自由

そもそも日本語の自由という言葉には2種類の意味が含まれていると考えています。

  • 〜からの自由(freedom):自信を束縛する何かから自由になること(奴隷が自由になるなどはこちら)

  • 〜への自由(liberty):自身を規定する何かを自身の意思によって自ら課すこと(特定の信念に沿って生きることが想像しやすいかと思います)

世間一般的に自由というと「〜からの自由(freedom)」を想像しがちですが、後者の意味合いを意識する時は少ないと思います。ただ、個人的には、「〜への自由(liberty)」こそが近代に芽生えた自由主義(自己決定)の根本の価値であり、人間が動物ではなく人間であることの証左と思います。
同時にこの「〜への自由(liberty)」を国民一般に与えたからこそ、副作用としての自分探しや、やりたいことがない苦悩にもつながっています。

貴族とは何か

結論ですが、貴族とは、人の上に立つ人間として下位の人間よりもより自身の自由を拘束する自由を選んでいる人間、と思います。
会社であれば、一般の社員が怒っていたとしても飲みに連れて行けば解決するような話にもできますが、社長が怒鳴り散らしていればば会社全体が恐怖政治の雰囲気になり事業そのものにも影響するでしょう。
結局のところ、上に行けば行くほどその人を見ている人、関係している人が増え、上の人間とすれば個人とすれば当たり前のこと(喜怒哀楽)ですら、何らかの意味合いを持って捉えられてしまい影響を与えます。
そのため、上に行けば行くほど個人としての自由はなくなるため、貴族的な自由を選択する必要に迫られます。上に行けば権力や権威を与えられるため、羨ましいがられるかもしれませんが、このような自由を選択する覚悟が必要になることは頭の片隅に入れておいた方がよいのでしょう(この辺りユリウス・カエサルが好きな人であればあの話かとなるかもしれません)。

さいごに

個人的には会社としての話もそうですが、子供との関係性でも同じような覚悟というよりも自分に対する厳しさが必要なのかもしれないと内省しました。自分には厳しく、子供には優しく接していきたいです。


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