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ある日の支援日記 わが子なのに一生拒まなければならない理由

みなさまこんばんは。
ましこと言います。

わたしはパラレルワーカーでいくつかの仕事をしているのですが、今は大きく2つ、1つはベビーマッサージ教室の運営、そしてもう1つ今一番注力しているのが、自治体が運営している地域子育て支援拠点の専任職員の仕事です。フルタイムで平日は毎日地域子育て支援センターに勤務しています。

今日のテーマは「ある日の支援日記 わが子なのに一生拒まなければならない理由」です。

24歳で結婚、夫は一人目の子どもを出産後すぐに起業、3人の子宝に恵まれました。その起業した会社は自宅の一部を事務所にして1台の車から始まりました。育児と起業が重なり、相談者であるお母さんは、母親・役員・経理を兼任する生活となりました。

会社のほうは年商数億、従業員は300人を超える中小企業へと成長していきました。

24時間のほぼ全てが育児か仕事、当時は自身のご両親と二世帯で住んでたので、お風呂や食事などは手伝ってもらえていたものの、年の近い子どもたちのお世話をしながらの自営業はそう甘くなありません。仕事を取るための飲み会営業でほとんど自宅にいない夫に話を聞いてもらえないと、週に何度か電話が来るのですが、とにかく一人になりたい、時間が欲しいとよく漏らしていました。

当時不妊で子どもがいない人生を歩み始めていたわたしにとっては、わが子のような特別な存在でした。

赤ちゃんだった子ども達は、すくすくと成長し、遊びに行くと本気でわたしの奪い合いが始まるくらい慕ってくれていました。

子ども達の成長と共に、相談者であるお母さんの忙しさは、さらに加速し、子ども達をよく怒鳴っている様子が見られました。激しく起こることもあったのですが、この頃はもうベビーマッサージ講師として開業していましたので、教義上の知識はありましたが、怒鳴る親がもちろんいいわけでもないし、ただ、悪いことでないこともわかっていました。

この頃、よく相談者であるお母さんは「なんでそんなどなり散らすの?」とか「じゃあ3人も産まなければよかったじゃん」「それって育児放棄とか虐待だってわかる?」など、誰かに相談するたびにこのような言葉を浴びせられ、この大変な状況を分かってくれる人は誰もいないと吐露していました。

幼少時代の一番上の子どもの日々の様子はいわゆる「気になる子」で、よくかんしゃくを起こしたり、落ち着きがなくいました。相談者であるお母さんには、親が怒るのは理由があるので、子どもをよく観察してどんな時に子どもを怒っているか、感情ではなく事実で怒っているのかを意識するようアドバイスしていました。

全体像が見え始めたのは、一番上の子どもが小学生に入った時でした。発達特性が顕著に出始めたのです。毎日学校に呼び出され、日々の問題行動を担任の先生と話し合う日々。そこである事件が起こります。

専門医への相談と、施設利用など家庭支援を役所に相談するよう伝えますが、ちょうどこの頃起業した会社の業績が伸び始めた頃で、そこまで手が回らず、徐々に状況は二次障害に移行し、悪化しつつも、生まれたときからいつもいるわたしとは仲良くて、話は聞いてくれていました。「俺のことなんてみんなうざいと思っている。俺のことなんて誰も好きじゃない。」小学高学年の子どもの孤独を感じる言葉に、うちは子どもがいないから東京に引っ越してうちの子になってもいいよと伝えたこともあります。

成長と共に起こす事件は大きくなっていきました。

もう相談者であるお母さんの手には負えなくなった頃、時同じくして離婚が決まり、この子の親権は父親に、下二人の親権は母親にと分けられました。

離婚、乳がんの発覚、子どもの非行など、抗がん剤治療をしながら高熱でうなされ、明日の命も生活も破綻寸前でした。

二次障害に苦しみ、苦しんで苦しんで事件が起こり続けるわが子の状況に、相談者のお母さんは気づかないまま時間が過ぎていきます。

その素行は成人しても変わらず、起こす事件や、家族への素行も激しさを増していきました。

そんな矢先、母親としての責任を感じながらも、ある決断をしたそうです。

拒み続けること

これ以上関わると自分の余生も壊され、下の子ども達の未来も破壊されてしまうので、本当に苦しい決断だけど、もう関わらず関わりを求めてきても拒むことに決めたそうです。

この決断に対し、様々な意見が上がったそうです。

子どもを捨てるのかとか、時間が解決するよとか、親子なんだからもっと子供に歩み寄ってあげなよとか、月並みな言葉を浴びせられているそうです。

わたしへの相談は、最もシンプルで、この決断をどう思うか、という内容でした。

親子には相性があります。これは紛れもない事実であり、わたし自身が実母との関係性で経験しています。親は自分で産んだこともとはいえ、本当に残念なのですが、かわいがれない人もいるし、愛せない人もいます。

そういう子どもほど、承認欲求が強く、家族への執着や母親への愛を求めてきます。相反しているようですが、これもまぎれもない事実です。あんな親大っ嫌いだけど、心の根っこでは本当はかわいいねと言われ頭を撫でてもらい、だきしめてもらいたい。そのことが叶わないことをわかっていても、顔を見ていてイライラするくらい嫌いだけど、でも、誰よりも母親が好きで、家族の暖かさに飢えているのです。

また、発達に特性があっても、社会に上手に浸透していく場合もあれば、難しい場合もあります。これは母親の責任だけではないと思いますし、一人一人、家庭ごとに事情は違いますし、何かこう、うまく言えないのですが、なんでも母親のせいにして非難を浴びせるのも悲しすぎます。

子どもを手放さざるを得ない覚悟
子どもを拒まざるを得ない状況

みんなを守る苦しい決断だったと思うよと伝えると
電話越しに泣いていました。

みなさまはどう考えますか?
理解はできなくも、そういう考えもあるよねという優しい社会で会ってほしいと願います。

ましこ


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