僕は岡本太郎に会いに行かないといけない【日記】

連日、人生の迷走中で気づいたことがある。僕は岡本太郎に会いに行かないといけないタイミングが来ているということだ。

もちろん岡本太郎が亡くなっていることは知っている。もう会えないこともわかっている。だが、作品はまだ生きているのである。実際に目の前で見たことのある作品は太陽の塔とその内部くらい。

あの時の感動と衝撃、太郎の言葉を借りると「何だこれは」である。

その衝撃が今の自分には必要だと思う。この鬱屈とした何にも当てられない表現できない感情を太郎だったら、どう昇華するのだろうか。それがわかる気がする。

なぜ僕が急に太郎に会いに行かないといけないってなっているのか。それは縁を感じているからだ。元々、岡本太郎の作品には興味があった。だがここ数ヶ月の間で太郎とよく出会うのだ。

まずは愛媛県の内子町という場所に行った時だ。ある和紙のお店であいみょんと太陽の塔が表紙の雑誌があった。その表紙があまりにも美しすぎて、普段は物欲がない僕は欲しくてたまらなくなり、バックナンバーになっている雑誌をネットで探して購入した。

次によく行く喫茶店に岡本太郎の言葉を集めた本が置いてあった。ここにも太郎がいる。そう思って名言を何度か読んだ。

他人が笑おうが笑うまいが自分の歌を歌えばいいんだよ。

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。やってごらん。

どの言葉も自分を鼓舞するような強くて優しい言葉だ。芸術だけじゃない言葉も強いのだ。次に縁を感じたエピソードはさっき起きた。僕が敬愛するオードリーの若林さんも岡本太郎のことが好きなのだという。

偶然、聞いたラジオの切り抜きで語っていた。太陽の塔を見て泣いた、明日への神話を見て泣いた。こんなものを作らないといけない!と思ったのだという。敬愛する人が敬愛する人物だと聞いてさらに興味が湧いた。

その岡本太郎の展覧会が僕の地元、大阪で10月2日まで開催されている。もうこれは行くしかない。行って太郎に会えと誰かが言っているのだ。必ずや会いに行きます。

<おわり>

サポートして頂ければ、そのお金でいっぱいご飯を食べます。(本当は将来のゲストハウス経営の為の軍資金にします。)