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夜泣き

挨拶から始まるなら挨拶で終われよと、教室の窓の外を見ながら今日は古文の時間だったから、現代語訳をしてながら下二段活用だかなんだかの意味とその周囲の情報を書き出したノートと参考書を見返す。キャンパスノートを横にして上下に分割して、上に古文、下の現代語訳を書き、意味や解釈や名詞の意味を書き出す作業。どこが楽しいのだろう。その物語として流れや起承転結のタイミングでこちらも喜怒哀楽をするのは楽しいのに、これじゃ生きていくために楽しくないことをしなければいけないのと同じじゃないか。ただのブロック化された栄養じゃなくて、こっちは食事がしたいんだ。食事がある生活がしたいんだ。各々でも健康であるためにほどほどに忘れずに取り組むことは取り組んで、自分らしくあるために自分らしさをどこかに何処かに置いて行かないように、場所はどこでも。雑踏の中でも河川敷でも大きな橋の下でも、安い居酒屋でも美味しいラーメン屋さんの中でも、そこがカジノだってそうだ。人生は賭け事か?近いけれど違うだろう。期待するだけ無駄なのか?無駄じゃないけれど有益でもないだろう。確実に、自分で責任を取るしかないのだ。
このつまらない時間は窓の外を見るか、話半分に聞きながら次の授業の準備をするか、窓が空いているところに流れる風をみて、靡くカーテンの影をノートの端に書くか。
チャイムまであと5分。呪いのように手首に映るカーテンの影が濃かったり薄かったり。「はい」か「いいえ」以外の正解が欲しい。

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます