おべんとうばこのうた に思うこと
「これくらいのお お弁当箱にい」
出だしは大事だ。
元気よく声を出しながら両手を目の前に平行に並べたら、右手と左手は各々端まで移動する。ありったけ腕が伸びると、そのまま下へ直下する。これで「これくらいのお 」の「のお」のところだ。
ぐるりと両手が互いの引力に引かれるように中央へ戻ってくると、お弁当箱が完成する。
「おにぎり おにぎり ちょっとつめて」
直前に作った巨大なお弁当箱の中でコロコロ転がりそうなサイズのおにぎりを握る動作をすると
「きざみしょうがにごましおふって」
「にんじんさん
さくらんぼさん※
しいたけさん
ごぼうさん
あなあのあいた れんこんさん」
かなり根菜だ。
さくらんぼ以外 根菜だ。
つまり全部 野菜だ。ミートボールも卵焼きもない。
「すじのとおったふーき」
すじのとおったふーきってなんだろう、と思っていた。
意味の理解が追いつかないまま音だけを楽しむ。セーラームーンの「しこうかいろはしょーとすんぜん」もそうだった。
筋の通った蕗(フキ)、想像すると美味しそうなのである。
シャリッとした食感のみずみずしい蕗が脳にリプレイされる。しかし「筋」と聞くと、なんとなくイヤなものを噛んだような気がする。肉の'筋'が固くて噛み切れない、アスパラガスの'筋'が残っているなど、硬い繊維が口の中でザラザラと主張する印象だ。
しかし蕗は違う。筋の通ったのが美味しい。
「ふにゃふにゃのふーき」ではだめだったのだろう。
「すじのとおったにーく」がNGのように。
「おべんとうばこのうた」と給食の歴史
「おべんとうばこのうた」は日本の童謡、あるいはその原曲とされるわらべうたである。(Wikipediaより)
童謡はわずか45年前の1978年にレコードが発売されているが、昨今のお弁当箱の具の違いに驚く。
当時の人は違和感はなかったのだろうか。
昔のお弁当を振り返ってみる。
約50年前の、「昭和50年(1975) お弁当 中身」で検索してみると、美味しそうなナポリタンやソーセージの画像が並んでいる。
昭和40年(1965)、2023年現在では70歳の方が当時12歳の時ということになる。当時も鮮やかで美味しそうなお弁当の画像が次々と出てくる。
昭和30年(1955)には、しきつめた白米と玄米に海苔と梅干、おかずは魚肉ソーセージや小魚、卵焼きなどが1品入っている。パンもある。
給食はいつから始まったのだろう。
明治22年(1889年)に山形県の私立忠愛小学校で無料の食事配給が起源だ。その後も給食を提供する学校が増加したが、日中戦争を機に中断が相次ぎ、1944年には一時途絶えた。
1945年の終戦後、再び給食は広まっていき、1954年には学校給食法が施行される。戦後、アメリカからパンや乳製品が日本に入ってくる。わたしもパンと牛乳で育った。
こうして時系列で見ると、「おべんとうばこのうた」が発表された1978年にはすでに給食が普及しているということになる。一体’誰のためのお弁当’のうたなのだろう。園児や社会人のためのお弁当なのだろうか。
幼稚園で元気よく歌ったわたしは、誰のためのお弁当箱をこしらえていたのだろうか。
「こ食」とシェアするということ
最近は、個食、固食、孤食の3つの「こ食」という言葉がある。5つだったり7つだったり、9つバージョンもあったりするようだ。一人で、毎回同じものを、別の作業をしながら食べるというのは日常的によくあることだと思う。
対照的にInstagramで料理写真がシェアされ、Youtubeでレシピがシェアされる。素材ごとの調理・保存方法など、昔は親子間で引き継がれ、主婦の会話の中で交流されていたことも、今ではネットで繋がるというのは、'こ食'に該当するのだろうか。
'こ食'によって分断されているように見えて、料理は世界中へと拡散している。
料理は'料理'というジャンルで包括されることで、安心して共有しあうことができるのは、一つの理由ではないか。「母のカレー」は各家庭で独立して確立していて、たとえ同じレシピを別の人が作ったとしても、それは「母のカレーと同じ味のカレー」であり、「母のカレー」にはなり得ないのかもしれない。
「カレーに蜂蜜を入れると美味しい」と聞いて、我が家でも初蜜を入れてみる。それを真似されたと怒る人はいないだろう。レシピが幅広く共有されるのは、料理は作ったら食べてなくなることが秘訣ではないだろうか。
口の中に入ったものは溶けて、消化されて、その味や香りは、食べた人それぞれの中に残る。「美味しいね」を共有し、カレーは血や肉に変換される。
作ってなくなる。循環するものは人の交流をうむのかもしれない。
中身の具は違えど、時代を越えて作って、食べて、美味しさを共有するおべんとうばこの歌なのだ。
(※さくらんぼさんだと思いこんでいたが、ネットで元の歌詞を調べてみるとさんしょうさんだった。)