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夜の海から沙世子がやって来る。淫靡な穢れは伝染する①

東京都の世田谷から神奈川県の藤沢へ引っ越してきた。正太郎は、真新しい部屋を見て呟いた。
「これでマイホームを手に入れた。仕事も順調。まだ子供はいないが素直で家庭的な妻もいる。きっと幸せなんだろうな…」
 タバコに火をつけ、窓を見つめた。遠くに海が見える。もっと海に近づきたかったが、通勤のことを考えると、このマンションがベストだった。
「ちょっとぉ。忙しいんだからボーっとしていないで。タバコはベランダか換気扇の前でって言っているでしょ」
妻の優香がぶつぶつと注意してきた。
「はいはい」
逃げるようにベランダヘ行き、深く煙を吸い込んだ。結婚して3年。妻はどんどん要求が多くなってきたようだ。はじめは遠慮していたのだろう。女から「お母さん」になっていく。実際に、子供がはやく授かることを熱望している。郊外にマイホームを決めたのも、子供の教育を考えてのことだ。


ただ正太郎は最近、男としての元気が出なかった。この2年間セックスレス状態だ。仕事を続けてもらっていることもあり、結婚後に油断して太ったり、化粧をしなくなることはないが、やはり女としての性的アピールは減ってきたと思う。
俺がワガママで嫌な奴なのかなぁ…。年齢を重ねて落ち着いたからかなぁ…。
煙をゆっくり吐きながら、高校時代に付き合っていた紗世子を思い出していた。

父親の刑務官だった。刑務官は受刑者はもちろん共に働く仲間達とも馴れ合いは御法度。その為、転勤が多く各地を渡り歩いていた。

正太郎は、仲良くなっても離れれば人間関係は終わる…と幼い頃から肌で感じていたからか、ドライな性格を形成した。

人に過度に執着しない。友人も恋人もそれなりにそのつど出来るが、一定の距離が存在していた。

親友と呼べる程の友人はいないが、面倒なトラブルに巻き込まれることはない。結婚もした。正太郎はそんな自分に満足していた。昔の人間関係など、思い出すことは珍しいのだ。

沙世子との思い出

父親が神奈川県・小田原に転勤が決まったのは正太郎が高校2年の夏だった。母親は受験を控えている息子を思い、単身赴任を進めたが、当の正太郎が東京の大学志望だった為、家族全員で引っ越しを決めた。岡山県にいるより神奈川県の方が受験に便利だ。合理的な家族だったはずたが、この引っ越しの最中だけは母親の顔が暗かった。なぜだろう。

正太郎は初めて海の近くに住み、転入先に早く馴染む所作と受験勉強で、慌ただしく半年が過ぎて行った。

高校3年生で同じクラスになり、一目惚れ。正太郎が、いくらドライなタイプとはいえ、思春期男子の熱病には少なからずかかっていた。

沙世子は整った顔立ちに、細身の体。成績優秀で運動神経も抜群。笑った時に出る八重歯が可愛くもあり、セクシーだと評判だった。俗に言う高値の華。憧れる男子は多かったが、告白する勇気がない者が多かった。

空気を読み過ぎない性格が幸いし、ノリで地元の花火大会に誘ってみた。
「嬉しい」とにっこりと微笑まれた時は、天にも昇る気持ちとはこれかと思った。動機が激しくなり、彼女の目も見られなかったはずなのに、なぜ沙世子の笑顔は脳裏に焼き付いているのだろう。
会場の海岸まで、自転車二人乗り。思春期の僕は、ウエストにまわされた腕、ほのかに背中に当たる胸のふくらみ…気が気じゃなかった。大人になって感じられなくなった性への衝動が体に満ち満ちていた。結局、沙世子とはキスまで。プラトニックな関係のまま卒業を迎え、大学進学とともに疎遠になっていった。

「今頃、どうしているんだろな。きっと今でもきれいに違いない。いや、案外、肝っ玉母ちゃんになっているのかも…」
口に出して我に返った。ちょうど高校時代を過ごした街に似た、海の近くに戻ってきたからだろう。潮風に誘われて沙世子がよく浮かぶ。過去に心をとらわれているなんて、情けないなぁ…。正太郎は苦笑した。

引っ越しの疲れで、コンビニ弁当を夕飯に食べ、シャワーを浴びたら、ベットで泥のように眠った。いや、眠っていたはずだった…。
深夜3時、耳元で名前を呼ぶ声で起こされた。頬や耳にさわってくる柔らかい女の手を感じた。妻には珍しいが…。
「やめてくれよ。お前だって疲れているはずだろ? 」
手を振り払いながら、うっすら目をあけると、横で微笑んでいるのは沙世子だった。
「???」
あぁ、これは夢なのか。夢にまで出てくるなんて、俺は本当にどうしたんだろう。夢なのだから、覚めるまで楽しもうと考える自分がいた。沙世子が顔を近づけてきた。唇にそっと自分の唇を重ねてくる。少し離し、いたずらっぽく笑うと、もう一度キスをしてきた。今度は舌を絡ませた濃厚なもの。息遣いもあらくなり、オレに伸しかかってきた。
「これは夢なのだから…」
誰に言い訳するワケじゃないが、自分に言い聞かせた。そして…。
沙世子の胸へ手を伸ばす。いつから服を脱いでいたのか、最初から裸だったのか、よくわからない。でも、つかんだ乳房は肉感的で生々しく手に伝わった。我を忘れて乳首に吸いついた。唇を下に這わせていく。

久しぶりの、いや、初めての感覚だった。寄せては返す波のように、快楽が押し寄せる…。沙世子は陶器のような肌なのに、中は温かく締め付けてくる。正太郎は狂おしい程、沙世子を抱きしめ続けた。

翌朝。正太郎は飛び起きた。もちろん沙世子はいない。

なんだったんだ、あの夢は…。汗をびっしょりとかいていた。そして。夢精をしていた。

やや気まずい気持ちで隣のベッドで眠る優香を見た。

あんなに醜い女だったろうか…。やけに毛穴が目立ち、ふてぶてしい姿に見えた。

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