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挫折を繰り返した好きを見つけるワークに真剣勝負した話。

”好き”は漠然としたモンスター

”好き”を見つけることが成功への近道のように錯覚してしまう時がある。

”好き”が見つけられたらどんなに楽だろうか
”好き”を活かせたら何かが変わるのではないか

そんな思いは幻想だと頭では理解していてもふとよぎる「好き」があれば…という思い。


そしていざ”好き”という単語と向き合ってみると、あまりも漠然としていて結局何なのかわからなくなってしまい、「あぁ、私には”好き”がないんだ」と打ちひしがれてしまうひとも少なくはないだろう。
ちなみに私はこのタイプである。

そんな好き”と向き合い惨敗を繰り返した私が
自分のコンテンツを育てるという名目で今一度向き合った際に得た気づきを
今日はシェアしたいと思う。

好きがわからないと迷子なひと
それでも好きを見つけたいひと
向き合った過去は惨敗の歴史、みたいなひとは
このままページをスクロールしていってみよう。


始めのワークは手前の引き出しノートワーク

手始めに行った”好き”の洗い出しは世の中にありふれている”好き”を書きだすというノートワークから。



補足程度にお伝えすると私はどちらかというと”好き”が多いほうで、多いがゆえに自分のことがなんだかよくわからない、と迷子になっているタイプなので”好き”を書きだすなんてのはすぐにできるはずと思っているのだが、なぜかいつも嫌気がさして辞めてしまう過去を持っている。


ノートに書き始めると、今まで日々感じていた”好き”が消えてしまうのだ。
今回もなんとか絞り出してみて合計12個。
12個が多いのか少ないのかはわからないが、個人的には質のいい好きが出てくるのであれば正直1、2個くらいでいいのではないか?と思うくらい12個出したところで全くしっくりこない。
ノートに向き合い自分の好きを書きだせば書きだすほど
なんとも言い表せない”もやっ”とした感情が生まれてくるのである。


”好き”を書きだしているのにいつも感じている”好き”の感情とは違う感覚。
書きだせば書きだすほど「私ほんとにこれ好きなのかな?」と不安になる。


私にとっての”好き”は「好きーーー!!」と胸が躍ったり没頭できるもの。
それが、ノートに書きだすと色あせたただの文字になり自分の好きはどこか遠い彼方へと消え去り、そもそも”好き”なんてものは初めから存在していなかったかのような感覚に陥ってしまう。


同じような経験がある人ならお分かりいただけると思うが”好き”がないのではないか?と、自分に対して思う瞬間はなかなかに辛いものがある。

そんな辛さから目を背けるかのように私はいつもこの段階で挫折していた。
”好き”を書きだしたところで…みたいな思いも生まれてきてノートワークさえも好きになれなかった。


が、今回は本気である。
本気で自分を育てたいのだからここであきらめるわけにはいかない!
ということで、ここからさらに一歩踏み込んで次のワークに移ってみた。


挫折を克服するnext stepワーク

そのワークというのが

”好き”なことに関してストーリーで考えるor要素を書きだす

というワークである。


「写真が好き」というストーリーには

撮影するための日程を決める/目的地を決める
→撮影する
→加工する

→発信する

というストーリーがある。
そのストーリーの中で私が好きな部分は「撮影する→加工する」の部分であって日程や目的地を決めたり、発信をするのはそこまで好きではない。


他には「本が好き」というストーリーを書きだしてみると

本を探す
→本を読む

→レビューをする/まとめる
→活かす

私が好きなのは「本を探す→本を読む」までであり、レビューや活かすに関してはちょいと苦手を感じてしまう。


そんなことを12個繰り返して行くともやもやを感じながら書いた色あた”好き”にときめきの色が宿り始めた。


そこで初めて”好き”の中にも、”好き”な部分と”そーでもない”部分とがありその部分を明確にしなければ”好き”を見つけるノートワークは一気に色あせてしまうんだな、ということに気づいたのである。


ワークの本質は自分で自分に気づくこと

これはあくまで私の場合はという話の一例に過ぎないが
”好き”という漠然としたモンスターを攻略するには
”好き”の正体が何で構成されているのかを分解することが重要だ。


構成要素を分解することで全くバラバラだったものにも似た要素があり
自分自身がどういう傾向で好きだと思い、何に対して苦手だと感じているのが浮き彫りになってくる。


浮き彫りになってきた”好き”に対してアプローチしてより”好き”を磨いてもいいし、”苦手”の要素にアプローチして克服していく過程を楽しんでみてもいい。


どちらにしても”好き”と向き合い、自分なりの色を見つけたからこそ見える景色があることは間違いない。


そして今更ながら気づいたことだが好きを知るワークとは
自分の好きを知るために行うワークではないということ。
このワークは自分を知るために”好き”という要素を使っているに過ぎないということに気がついた。


好きが多かろうが少なかろうが、数は重要ではないのだ。
”好き”というものを通して、自分という人間を客観視できればそれで充分であり、自分なりにしっくりくる本質にたどり着ければ大成功なのである。


ということで、今まで挫折続きだった
好きを知るワークも、自分なりの解釈ができたので大成功。


あなたも騙されたと思って好きを書きだしからのストーリー/要素の書き出しワークをやってみてもいいし、自分にとっての”好き”を探すワークとはなんなのか?の答えを出してみても面白いと思う。


GWがいつまでなのか、という定義はわからないが
休みを利用してやってみてはどうだろうか?



PS:私はGWは8日までだと思っている!!









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