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インナーチャイルドに会いに行くのは夜がいい

(インナーチャイルドという3歳児の自分に唐突に会いに行ったので、3歳児、で画像を探したら、もっと素敵な画像を見つけて拝借)

昨今珍しくないインナーチャイルド、アダルトチルドレン、等の言葉なので、大丈夫この人?!とは思われないと思うけど、

フラクタル心理学友でカウンセラーの友人から、インナーチャイルド(IC)が悲しんだり怒ったりしてるかも、と言われ、唐突(だったのでメソッドとして合ってたかは謎)に会いに行きました。そうするつもりはなかったんだけど。。

現実(と思っている)の思い出や記憶をかいくぐり、6歳ぐらいの自分にこんにちはしたあとに現れた、3歳児かそれより下の私は、玄関に立って泣いていました。家は空っぽで鍵がかかっていて。。

誰もいない、取り残された、無視された、軽んじられた、見てくれない、思ったとおりにならない、寂しい、寂しいよおおおお!!と心で叫んで号泣してました。ICでも、叫ばぬ私(苦笑

とにかく見放されたとか、奪われたとか(弟が1歳半ちがい)、母が子供の声を録音したのを聞いたことを覚えていて、「○○(弟)ちゃんが寝てくれない、ママー○○ちゃんが寝てくれないよぉぉ」と、子守唄を歌って寝かせようとしていたけど寝てくれなくて泣きついてる声だったり。弟のこと好きだったんだろうか、○○ちゃんを繰り返して子守唄の替え歌を歌ってました。

あと、母には否定されたんですが、家に一人ぼっちにされた記憶がありました。これはもっと大きくなってから。そんな色々なことが頭に浮かび、出てきた気持ちは

見放されたくない、取り残されたくない、見てほしい
無視されたくない、
軽んじられたくない、思い通りにならない
頼れない、寂しい

そんな気持ちが大暴れしていました。

長子にありがちな、奪われた、思考。これは、下の兄弟姉妹ができるまで、周りの愛情が自分に全部向いていた、から思うこと。自分の子供達を見ると思うけど、娘と息子で4歳半離れていますが、娘は4年半、100%両親の目を向けられていました。が。娘は1歳位からずっとデイケアに通っていました。毎回お別れが今生の別れのようになるので大変でした。彼女も見放されたって思ってるICがいるのかな。

息子は生まれた瞬間から二人の大人と一人の幼児プラスおばあちゃん(うちの母と夫の母の交代交代で)が居て、誰かがいつもいるけど、誰かがいつも去っていく。やはり1歳からデイケア通いでしたが、切り替えの早いこと!泣いて困るなんて無かったです。彼はきっと、人は来るものだし去るものだ、と知っているのかもしれない。

これは解釈的には間違っているかもだけど、たぶん、生まれて絶望して(なんでもできると思って生まれてきたら何もできないし、何もかもが大騒ぎしないとなされない←傲慢の誕生とも言われます)、1歳半で絶望して(弟誕生)3歳頃また絶望して(父が大病を患い、母が生活のためにきっと望むほど周りに居てくれなかったと思っている)、ずっと絶望し続け(父の闘病生活、母は生活を支えるために多忙、など)、6歳頃、数え歳の七五三で、子供にしては長い距離を文句も言わず歩いた、と後褒められたり、叔母の結婚式でどうしても歌を歌う!とわがままを言って号泣して我を通したり。。

その色々を通して思い出して、私はきっと、
人生とは絶望ばかりだ
我慢をすれば認められる
人前に出れば認められる(小さい頃は親戚の前でパフォーマンスするのが定番だったらしい)
認められるとはすなわち褒められる
認められ、褒められれば、人から忘れられない、無視されない
知識を蓄えれば頼られる、一人でも生きていける
なんて思い込みがあったんじゃないだろうか。

瞑想の最後に、ICを抱きしめ、言ってあげてみた。
「寂しかったね、一人でおいていかれて怖かったね、呼んでも来てくれない父母を恨んだね、がまんすればいいんでしょ!褒められるようにすればいいんでしょ!って思ったね。

でもね、父も母も、みんな精一杯頑張っていた。頑張っていたのは、そうしてあなたや、弟がちゃんと生きていけるように、そうやって出来るだけのことをやろうとがむしゃらに頑張ってたんだよ。あなたは周りに居てほしかったね、自分を見てほしかった。でも、親というのは、子供が安心して生きていける場所を作るのが仕事で、あなたの周りにいることが仕事じゃない。そして、体がそこにいることだけが、あなたへの愛じゃない。

あなたを愛しているからこそ、より良い人生をと、父も母も大病も闘病も色々乗り越えて、信じられないくらい頑張ってきた。父も母も沢山ベストを思って頑張ってきた。中には受け入れられなかったり見えないこともあったけど、それでもその根底は全て、『良かれ』と思ったからこそで、やっぱりそこには愛情しかない。

あなたは、親とは子供に背中を見せて生き様を見せるもんだ、なんて思っていたけど、両親は素晴らしい背中を見せてくれた。先祖だってそうだよね。そしてあなたも子どもたちに見せてきた。

でも、あなたは、隣で手をつないで向き合う相手にさえ、背中を見せろ、と言ってこなかっただろうか?パートナーは親ではなく、背中で語る者ではなく、唯一向き合って、一緒に歩くものなのに、親から与えられなかったものを、あなたが与えてね(疑似親になってね)、と言ってこなかっただろうか。

彼は確かにその全てを与えてくれた。でも、やっぱり親じゃないとどこか知ってるから、全てを受け止めてこなかった。取捨選択すらせず、与えられれば拒み、与えられなければ文句を感じた。言わずとも伝わって、彼は混乱したんだろう。

もう彼は親じゃないとちゃんと知りなさい。宣言しなさい。過去でもなく未来でもなく、今、この人は私と手をつないで一緒に歩こうとしてくれているのだと、自覚しなさい」

起きてからまとめて書いたので、寝る直前にICに接したときはこんなに理路整然とはしてないけれど、そんな風に言いながら、沢山Hugしてきました。

そしてここまで何度も出てきた、寂しい、という言葉。
夫が何度も私に言ってきた言葉でした。孤独だ、寂しい、という言葉。
やっぱり私のICの叫びだったんですね。

時間列とは過去→今→未来、ではなく、過去←今→未来、で、『今』現在からしか派生しない、と言います。映画、テネットもそういう流れです。

インタースティラーもそんなシーンがあります。

今、から過去を消し去ることも作り出すことも直すこともできます。そして今が未来を作ります。

それならば、私はこれからの絶望を憂うのではなく、今までの絶望を心に刻むのではなく、見えないところにも確かな愛があり、そして私の現実には愛しかない、と何度も何度も落とし込んで、いまを生きて行こうと思います。

今、手を繋ぐ人がいる。ちょっと様子がおかしいなと思って、心配りをしてくれる子どもたちがいる。固執している私に「こうしたら?」と言ってくれる人が居て、いつもと変わらない屈託ない言葉や行動をしてくれる人がいる。何かを感じ取って声をかけてくれる人が居て、キスをしたい人がいる。

新しいことを信じるのは、獣道を街道にするのだから、何度も自分に言い聞かせて行かないといけない。でも、誤解をずっとこれからも信じて自分も周りも傷つけるよりずっと生産的だもの。

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