わたしはこんな人・中盤戦

前半戦はこちら

みなさんこんにちはこんばんはおはようございます。前半戦、思ってより読んでいただいたみたいでちょっとびびっています。

前回は、おしりが燃えてからの大逆転ホームランなところで終わったので、続きを書いていこうと思います。

社会人とかまじむり

まあよくあることと言うか、私も多くの人と同じように社会に出て壁にぶちあたりました。1年目は大体泣いてた気が…する…。そもそも、いずれ東京に行くぞと思っていたので、働くわよ!というモチベーションが本当になかったんです。会社の先輩にもわたし早くやめたいですとか言っていた気がします。。。なんて新人だ…。とはいえ、結局5年働きました。5年も?と思われる方もいるかもしれません。そう、そうなんですよ。やっぱりね、勢いのあるうちはいいんですけど、だんだんね夢は夢だよねみたいな感じになっていっちゃったんですよね。仕事はできるようになっていったし、忙しかったし、だんだん自分の居場所もできていきました。情熱みたいなのは薄れていってたんですけど、貯金だけは続けているという状況でした。

This is my ターニングポイント

4年目が始まる年だったかなあ。年度の終わりに上司の方と面談があるんですけど。そのための調査書みたいなものに異動希望を書く欄があるんです。なので、転勤で東京行けたらそっちで働きながら学校通えるし最強じゃない?と思って、ぺろっと関東転勤希望って書いたんですよね。

でも正直な理由は言えないし、どうしたらいいですかね?って先輩に言ったら、「スキルアップのため」って言えばいいよってアドバイスをもらいまして。言いました、言いましたよわたし。

「す、スキルアップとか…したくて…」「うそだよね?」この間、体感で0.5秒です。うん…。

正直に言いなさいと言われまして、もう逃れようがなかった私は、絶対怒られるとびびりながら「ナレーターになりたいので、東京にいきたいんです…」としどろもどろになりながら本心を伝えました。

そしたらね、「いいじゃん!がんばりなさいよ!」って言ってもらったんですよね。怒られると思ったんで、まさかの反応でした。ありがたや。

さて、わたしはここからどうしたと思います?正直な話、異動したいっていうのも叶う話ではないと思っていたし、情熱もほぼ消え去っていたところでした。計画も何にも立てていませんでした。でも、言っちゃったんですよ。言ってしまったので、もうがんばらざるを得なかったんですね。と、いうことで慌ててナレータースクールを探すことになりました。探し始めた時期が時期で、大体の学校は入学試験も終わっていました。しかも、地元で働きながら(わたしは岩手県に住んでいました)通えるところを探さないといけませんでした。

そんなばたばたの中で、ひとつだけ諸々の条件にぴったりの学校が見つかったので、ここしかない!!!!と思ってそこに飛び込んだわけです。

週末旅人あらわる

と、いうことで。月~金は岩手で会社員、土日は東京でナレーションの勉強という生活が始まりました。およそ3年。最初はお金もあったので、そして上京自体はまだ現実味がなかったので(つまり貯金をしていなかった)移動手段は新幹線、ビジネスではありましたがいい感じのホテルを探して宿泊して帰るという生活を続けていました。

いやー最初は楽しかったです。東京なんでもある~~~新幹線たのしい~~~って毎週あそびにいっている感じでした。グランクラスにものりました。あれはあの、おもてなしされ慣れていないとつらいぞ…とお伝えしておきます。

学校自体はですね、本当に初めてのことばかりで刺激がたくさんでした。いまでも仲よくしてくれている友達がたくさんいます。いい出会いがたっくさんありました。ここは自信を持って言えます。

ということで週末旅人だったわけですが、3年目に別なクラスもとることになりまして、その授業が金曜日だったんですね。毎週金曜日会社を休ませてくれなんて狂気の沙汰じゃないですか。お前ふざけんな案件だと思うんですが、先輩たちは快くいいよって言ってくださいまして…感謝…感謝…よよよ

この頃になると、あやばい上京か?いよいよ上京なのか?と、その辺が本格的に現実味を帯びてきたので行き帰り高速バス&カプセルホテル生活が始まりました。私はここで一生分高速バスにのりました。新宿区役所前カプセルホテルさんには本当にお世話になりました。。。大雪に見舞われて東京に6時間遅れで到着、授業にも出られず東京に着いた途端新幹線に乗ってとんぼ返り、なんてハプニングに見舞われたこともありました。いいネタをありがとう高速バス。あの時立ち寄った群馬のコンビニをわたしは忘れません。

というわけで遠距離に悩まされながらも、スクールに通って3年目でめでたく上京をきめました!ひゅー思い切ったね!わたし!

わたし、舞台に出る

勢いで上京をきめたわたし。初めてのひとり暮らしです。いやー張り切ってました。料理も頑張ってました。だって粉ふき芋とか作ってたもん。今よりよっぽどちゃんとした生活を送っていたと思います。

まあでもね、色々ありまして学校はやめちゃいました。何者でもないわたし、爆誕です。さて、これからどうしていこうということになり色んなワークショップに顔を出し始めます。とにかく何かしなきゃと焦ってました。でもあんまり事務所に入ろうという気持ちにはならなかったんですよね。ひとりでなんでもやるのって気楽だし楽しいよな~なんて思ってしまって。

でまあふらふらしていたわけなんですが、ここでまたちょっとした転機が訪れます。舞台に出ることになったんですね!学校の卒業公演に出たことはあったんですが、外部の舞台は初めてでした。しかも出演者は全部で5人です!すくない!こわい!と死ぬほどびびっていたのを覚えています。

でも、一度観てとても好きになった劇団だったので面白い作品に携われているのがすごく嬉しかったです。バミリとか場当たりとかそういう言葉もよくわかっていなかったので、周りにはだいぶご迷惑をおかけしたと思うんですけど…。バイトと稽古を両立するために朝5時におきて、仕事して、稽古に行って、日付が変わるくらいに家に帰り着いて…というのはなかなかしんどかったです。毎日ねむくてねむくて、バイト中もだいぶガクガクしていたと思います。。。なんてアルバイトだ…。

結局ストレートプレイの舞台には、計4回出たかな。一度主演もさせてもらいました。あの役はたぶんこれからもずっと宝物です。山口さんっていう役でした。えへへ。ほかにも朗読公演をしたりして、結構人前に出る機会が多かったです。

しかしこの辺でわたし、気付きます。

あれ?わたしって何になりたくて東京きたんだっけ?


つづきます





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