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エッセイ【ただちょっと人より本が好きというだけで】

うちに「くろべえ」がやってきたのは、私が高校生の頃のこと。
母がある日突然「黒い犬が飼いたい」と言い出したので、気まぐれな母の気が変わる前にと、高校の同級生の家で生まれた仔犬をもらってきました。
学校指定の小さな補助バッグの中に入れて、くうんくうん小さな声で鳴く頭をなでながら電車で連れて帰ってきたのは、全体的には黒くでも顔の真ん中は白く足先はすべて足袋を履いているように白くて尻尾の先も白い雑種犬。
この子に妹が「くろべえ」と名前をつけました。

くろべえを飼い始めた頃の私の夢は、いつか小説家になること。
自分の書いた作品が本という形になって本屋さんに並ぶことでした。

「ただちょっと人より本が好きというだけで、読書量も頭の中身もまったく足りていないあなたのような人間が本など出せるわけがない。小説家なんかになれるわけもない」と、母には鼻で笑われました。
母のうしろの本棚にびっしりと詰まった赤い背表紙の日本文学全集。それは母の宝物。それを見ながら「あなたのような人間が本など出せるわけがない」という言葉の呪いを頭から払いのけようとしつつ、悔しさで肩が震えた日を遠く感じます。

時々こっそりと母の本棚から本を取り出して小説を読んでいました。あの頃の私が一番興味を持って手にしたのが芥川龍之介。ですが、母の持っていた本の中に芥川龍之介の「白」が入っていたのか、
当時の自分は読んだのかどうか……よく覚えてはいません。
ただ、小説というものは作家の心の内側にある「白いもの」「黒いもの」が文字となり文章となり、物語となって出てくる。私は、自分自身の内側にどれだけの白と黒を持ち、それをどう表に言葉として文章として出すことができるのだろう?そんなことをぼんやりと考えていたあの頃を思い出します。

「お母さんがムリだと言っていたとしても、私は本を出す」

そうこっそりと心の内を打ち明けた犬のくろべえはもうこの世にいませんが、私の書いたものは本となりこの世に出ることができました。
でもまだ、心の内側の白と黒を操って言葉を紡ぎ出す小説家にはなれていないのです。

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