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「第十九回 「本膳」「棒鱈」は田舎の人を笑う噺にしなくていいじゃない、の巻(寸志滑稽噺その十八)

杉江松恋(以下杉江) 「百席余談」、ひさしぶりの再開でございます。
立川寸志(以下、寸志) よろしくお願いします。
杉江 前回は其の十六まで行って終わりました。今回はその次、其の十七からですね。「疝気の虫」「棒鱈」「本膳」でした。ええと、ネタおろしは。
寸志 「本膳」でした。いいですか、この噺からいっちゃって。

■「本膳」

【噺のあらすじ】
とある村にて祝い事があり一同が招かれた。それはいいのだが、本膳の作法をみんな知らない。しかたがないので全員が先生の真似をする。最初のうちはうまくが、やがて。

寸志 お勝手をばらしちゃうと、もう前日に形がついたぐらいぎりぎりでして。僕にとってこの噺は、桂文生師匠の印象が強いんですよ。
杉江 おお。わかりますわかります。
寸志 文生師匠がまだ芸協(落語芸術協会)にいたころに、よく高座を見ました。もちろん、落語協会に移籍されてからもよくやられてると思いますけど、そのころの記憶が強いんです。表情から何からよく憶えています。田舎者の口調がお得意なんですよね。「なぁにを言ってるんだ」って、下あごで何かに噛みついているような。
杉江 ああ、目の前で再現されているようです。江戸落語の粋とはまた別の魅力だとは思うんですけど、桂文生ならではの田舎者ですよね。
寸志 そうそう。「権助」を辞書で引いたら一番最初に出て来る、みたいなキャラクターをやられるんですよ。で、私は田舎者やるのが実は好きなんです。「権助魚」か何かのときに話したと思いますけど、落語の田舎者はリズムで話せるので。だから「本膳」もできると思ったんですけど、この噺は後半、仕草の連続になっていくんですよね。
杉江 最後は肘つきの連発で終わるという。
寸志 その辺りって、どちらかというと地で回していくんですよ。田舎言葉が主じゃないんです。「ご飯粒が鼻の頭についたから、十何人残らずみんな鼻の頭にご飯粒つけて」とか、そういう絵を地の語りで見せる噺じゃないですか。そのトントンという持っていきようが急ごしらえではちょっと間に合わなかった。だからアンケートでもあまり良い結果は出てないと思いますよ。
杉江 えーと(見る)。4.6だからそんな悪くはないです。
寸志 悪くはないんだ。アンケートを見ますと、「初めて聴く噺です」という方が二人いらっしゃいますね。初めて聴く噺だからおもしろいってことなのかな。でも、「本膳」って意外となじみはあるんじゃないかと思うんですよね。
杉江 きっと読む落語で多いからですよ。こども向けの本でいくつか見たことあります。
寸志 本当にそのとおり。これ、たぶん元は民話みたいなものでしょうから、こども向けの読む落語にはたぶん最適なんですよ。地で進めていくことも含めて、読んでも楽しい。僕も、こどものころからすごくなじみがありましたから、初めて聴いた、という評はちょっと新鮮でしたね。やったかいはありました。
杉江 冷静に考えると、田舎者を笑う話になっちゃってるから東京以外ではできないですよね。あまり応用がきかない。でも、やろうと思えば寄席サイズに短くもできるんじゃないですか。本膳の部分だけやればいいわけでしょ。前段を全部抜いちゃって。
寸志 「今日は誰々の結婚式だで、礼法がわがらねから、先生さ、お招きしてるだ」「そうか」「先生さま、よろしくお願いします」みたいなところから始めちゃえばいいってことですね。文生師匠も寄席ではそうしてたかもしれない。
杉江 おいしいところはそこですからね。ただ似たような噺が今はあるでしょう。
寸志 ああ、「荒大名の茶の湯」ね。そうか。「荒茶」だとかっこいいのに、「本膳」だと、何と言うかかっこ悪いですね。
杉江 単に田舎の人だから。田舎の人って言っちゃ失礼かもしれないけど。
寸志 となると、これ、長屋でもできるじゃないですか。「長屋の本膳」みたいな。
杉江 できますよね。なんだっけ、羽織奪い合いするやつ。
寸志 「黄金の大黒」ね。イメージ的にはそれですよ。
杉江 「黄金の大黒」の後段にこれはめ込んじゃっても同じことですよね。
寸志 ああ、そっか。そうすりゃいいのか、なるほど。「黄金の大黒」をあそこでサゲないで後ろにくっつけて。たぶんそういうことするとかなり怒られますけど。つかみこみという禁じ手です。でも、ほんとそうね。別に田舎だから礼法を知らないっていう時代でもないし、そもそも長屋の住人だって本膳なんて知らないでしょうし。これも想像して楽しい噺なんですよ。「鼻の頭に米粒をつけたおじさんが、ずらり十何人並んでる」って絵的におかしいじゃないですか。それを浮かばせることができるかどうかであって、田舎者のズレっぷりを楽しむものではない気がします。だからこそ、長屋にも持って行けるし、「荒茶」みたいなことにもなるという。
杉江 確認してないけど、斎藤寅次郎監督あたり、絶対自分の映画で使ってますよ。では、「本膳」はまだまだやれる要素はある、という結論でいいですか。
寸志 でも、たぶんやんない。
杉江 なんでだ。
寸志 なんか違うんだよな。なんなんだろうなあ。俺がやるとなんかほのぼのしない気がしちゃって。

■「疝気の虫」

【噺のあらすじ】
男がおかしな生物を発見する。疝気の虫であるという。生物の語るところによれば、人体の中で疝気の虫がそばを食べるとつい大暴れしてしまうので、宿主が痛がるのだという。

杉江 「疝気の虫」は、家元(立川談志)もお得意にされていましたね。
寸志 はい。これはもう家元リスペクトですよ。でも、実は一番好きなのは、先代の入船亭扇橋師匠――この名前も復活しますね、めでたいですけど――この師匠の、「チントト、チントト、パッパッパ」って、あれが好きなんです。これ、文字にするとわからないと思うんですけど、疝気の虫の手振りがつくんです。「パッパッパ」(発音とズレるタイミングで手を動かす)って、わからないだろうと思うけど。
杉江 リズム体操みたいですね。
寸志 そうなんですよ。人間の筋を引っ張ったりかじったりするところが「チントト、チントト、パ~ッパ」。そういうのんきな、クラシカルな笑いとしてやりたかったんです。まあ現状ではそっちの方向で頑張っても無理なので、自分なりに工夫はしています。たいがいの疝気の虫は最初単独で出てきて、途中から複数に増えるんですけど、私の場合は最初から複数登場させています。「なんだ。ぞろぞろぞろぞろ出てきやがった」って男が言う。で、その代表の疝気の虫がくだらないシャレを言って、こっちの仲間たちに(振り返って)「な? 今のな、おもしろいよな?」とか言ったりして、男の「うるさい! お前たち」みたいなツッコミが入るという。
杉江 ワチャワチャしてるような感じ。
寸志 ええと、サンキュータツオさんになんて言われたんだっけな。ディズニーの黄色いムニョムニョした眼鏡かけたやつ。ミニオンでしたっけ。「あれの感じですね」って言われたんです。まあ、ウザかわいい感じですね。
杉江 僕の疝気の虫のイメージって、まこと虫なんですよ(楳図かずお『まことちゃん』のキャラクター)。
寸志 「まこと虫」! また時代ですねえ。
杉江 あの感じ。いろんなのがウジャウジャいてね。
寸志 そう、ウジャウジャいるイメージですね。あとで集団で動き出すときに、みんな「それ、行こうぜ」とか言うのがかわいいから、最初から出してもかまわないだろうって思ったんですよね。これが案外難しいのは、実はそば食うシーンがあったり、医者が出てきたときのカミシモの問題があったり、いろいろ考えるとけっこうめんどくさい噺でしたね。
杉江 上下移動もしますしね。落語には珍しく。
寸志 そうそう。人間の体の中で登っていったりするんでね。サゲは別に変えていません。ただ、「別荘別荘、別荘別荘……」って、探しながら袖へ入っていく、よく(古今亭)志ん生師匠がやられたと言われている形があるじゃないですか。あれは一回ぐらいしかやったことないです。僕らがやるような会場では、なかなかスッと立ち上がって「別荘別荘」と言いながら下がる、みたいなことはできないですよ。段差のない会場じゃないと危険ですから。
杉江 道楽亭じゃ無理だと。
寸志 そうそう。「別荘別荘」とか言いながら踏み段降りていくのもおかしいじゃないですか。言いながら雪駄履いたりするのも変だし。
杉江 客はね、「寸志さん、膝が痛いんだろうなあ」って思いながら見ますよ(笑)。
寸志 だから、「別荘別荘……別荘ないじゃん」とか言って倒れ込むっていうサゲにしてます。でも、そこでサゲと気づかれないって事案はあったな。別荘、つまり「金玉がないよ」っていうのが、実はみんなわかってないのかもしれないなと思うときありますね。
杉江 考えオチですからね。
寸志 好きで一時期やってましたよ。あんまり最近やんなくなっちゃいましたけど。
杉江 (立川)志獅丸さんのやつがね、なんか疝気の虫というか、モスラみたいなんですよ。
寸志 志らく一門の演出ですね。(鼻の前で両手を動かして)ブワァーッてやるからでしょ。
杉江 そうそう。それをやるんだけど、志獅丸さんが身体でかいからモスラにしか見えないんですよ。ロバートの秋山がモスラの真似をしているみたいに見える(笑)。

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■「棒鱈」

【噺のあらすじ】
江戸っ子二人が飲んでいる座敷の隣に薩摩者らしい武士が。芸者を相手に下手な歌を披露しているのを聴いて、江戸っ子はおかしくてたまらない。やがて一人が厠に立つのだが。

杉江 もう一席が「棒鱈」ですね。
寸志 「棒鱈」は、いまやイザって時の得意ネタの一つです。よくやりますね。昔から「棒鱈」がすごく好きだったんです。中学生時代、池袋演芸場に行くと、(柳家)さん喬師匠がよくかけてらして。それが爆発的におもしろかった。憧れの噺だったんですよね。百席のこの日はサゲは「コショウ(故障)が入った」というのをそのままやっていたと思いますけど、後で変えました。
杉江 ほう、どんな風にですか。
寸志 以下ネタバレ注意です。やっぱりコショウは振るんですよ。それで座敷でヘクションヘクションが始まる。薩摩の侍が「なんだこれは。後から入ってきた者、何をかけおった」。ペロッと舐めて、「これはお前、コショウではないか。このようなものをかけおって。みどもを何と心得る。薩摩の侍ぞ」「薩摩のイモか。だったらコショウじゃなくて塩でよかった」。
杉江 綺麗ですね。それのほうがわかりやすいじゃないですか。
寸志 「薩摩のイモ」というのを隣の座敷の二人の会話で最初に言わせて、真ん中でもう一回言って、みたいにちょっと印象づけておいて。でも、ある評論家に「確かにサツマイモに塩をかけて食べるとおいしいけど、今の人はわかるのかな?」って感想を書かれちゃったんですよね。
杉江 今も塩を振る人はいると思いますけどね。少なくとも「コショウが入る」よりはいいと思いますよ。だって、言葉自体がわからないから。
寸志 なんですよね。それを枕で振るわけにもいかないし。「昔は『コショウが入る』といいまして」って。
杉江 不自然だ。
寸志 「棒鱈」は、酔っ払いは好きだし、自分の歌も客観的に見て悪くなく楽しんでもらえると思ってるし、薩摩の侍もやってるうちにうまくできるようになったので、今は自信持っているネタの一つです。
杉江 なるほど。いいですね。
寸志 それで思い出したんですけど、このあいだ立川流の広小路亭夜席でやったんですけど、楽屋に(土橋亭)里う馬師匠がいらして、「歌がただただ怒鳴っているように聞こえるから、もうちょっと節をつけるといい」ってアドバイスいただいたんです。
杉江 薩摩の侍の歌が、ということですね。
寸志 そうです。「もずのー、くつーばーす」というやつですね。それを「もうちょっと節っぽくしたほうがいいよ」と。薩摩の侍はたしかに音痴なんだけど、「もずのーくつーばーす!」とか「いちがーち!」とか怒鳴るだけじゃなくて、もうちょっと節をつけたほうがリアルだと。言われてみれば確かに、侍が三番目に歌う琉球(りきゅう)はちゃんと節つけて歌えてますからね、あの侍。
杉江 確かにそうですね。でも、誰がやっても少し怒鳴ってるように聞こえるっちゃ聞こえますね。侍は歌ってるつもりなんだから、ということですか。そうか、聞いている芸者さんは笑うけど歌ですと。歌っているけど音痴でヘタなんですと、そういう風にやりなさいということですね。おもしろいですね。確かにそうかも。
寸志 僕はまた、フルボリュームでやるので、さらに怒鳴っている感があるんです。
杉江 脳天がパーッと抜けるみたいに。
寸志 カラオケボックスみたいな場所だったら隣から壁ドンされるくらいの声でやるんですよ。まさに「棒鱈」みたいなシチュエーションで。でもそういう噺なんですよ。だから前段の、隣の座敷で兄貴分と弟分の会話で、弟分が「兄ぃのほうが鯛の身が厚い」とかいろいろくだを巻くところも全部取っ払っちゃった。いきなり、「寅さん、気に入らねえな。隣の侍んとこ、また女ぁ来た」みたいな話になる。「隣が気になる」っていう噺にしたんですよ。だからマクラも、そういう「飲み屋で隣に座ってた人がこんな会話をしてた」「飲んでると隣が気になりますよね」みたいな話から入ります。そうすると別の観点が出てくると思うんですよね。
杉江 ちょっと今っぽい感じも出てきますね。
寸志 共感呼ぶでしょ? 単に「田舎ものの侍を江戸っ子がバカにした」じゃなくて「隣は何をする人ぞ」というか「隣のやつうるせえな」っていう噺でいいと思うんですよね。
(つづく)
(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)

※「寸志滑稽噺百席 其の三十二」は4月21日(木)午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催します。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。コロナ対策の意味もあるので、できれば事前にご予約をいただけると幸いですsugiemckoy★gmail.com宛にご連絡くださいませ(★→@に)。



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