【国会クイズ】第17問 国会議事堂の大公孫樹
📚 問 題
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📚 正 解
国会議事堂は、江戸時代末期の安芸広島藩の敷地と高家旗本有馬氏の敷地の境目あたりに存在していたようです。国会議事堂からみて正面左にこの木があったため、虎ノ門の元東伏見宮邸内にあった同じくらいの大きさの木を移植しました。これでバランスよく対になりました。
元参議院事務総長の近藤英明氏の著書『国会のゆくえ』(春陽堂)で、この木について述べられています。面白い話ですから少し長いですが引用します。
「この議事堂の出来た当時、正面に昔からの公孫樹の老木があるので、これに対なる公孫樹を捜していたところ、丁度すぐそばの霞ヶ関の離宮のところに似合の老木があるというので、これを移植することになったのである。ところが、数百年の老大木であるので、根まわしをやり、枝をつめて、多数の人力と多額の国費を使ってここに移したのである。しかも、あまりに大木なので、日中に引張ることができないので、深夜交通の途絶えた頃を見計らって、しかも何日もかかって引張って来たものである。まことに悠長な移植作業であったようだ。ところが、当時あの附近にいた一英人がこれを見て、日本人は気が短いなと言って笑ったというのである。この英人がだれであったかは判明しないが、戦災前はあの辺りに外務省顧問のベティ博士などが居られたから、或いはそんな人であったかもしれない。とに角、日本人は気が短いなあと、日本語でつぶやいて笑ったので、それこそ気の短い日本人の工事監督が、こんなに手間をかけのろのろ引っ張っているのに、気が短いと言うのは何故か、と質問したところ、その英人は、「議事堂を立派に建築して、その偉容を添えるために他から老木の移植をやることが気が短いと言うのだ。議事堂は鉄骨石造りの永久建築であり、議会政治はこれからながくやろうというのなら、そんな無理な移植をせんでもよいではないか。われわれ英国人なら、一粒の種子を蒔くか、一本の杉箸のような苗木を片手でぶらさげて来て植えるだろう。そして、三百年まてば、大地と太陽は三百年の老木を与えるのである。この三百年の自然の成長を待つことの出来ない日本人はせっかちだよ、これだけではない。一事が万事、議会政治にしても、また、外交にしても、万事これだから困ったものだ。すぐ形は一応つけるが、十年たって見なさい。百年たって見なさい。その中味は大きなちがいですよ。この辛棒の出来ない日本人は、いつまでも短気者ですよ。」と言ってまた笑って立去ったというのである。工事監督者は、判ったようなわからぬような気持ちで、またその仕事を続けたわけである。この工事監督の一人から間もなくその話をきいて、私はやっぱり英国人らしいなと思ったが、当時は二本の樹をくらべて見てもそれほど気のつかなかったところであるが、あれから二十年近くたって見ると、この二本の公孫樹の品格の差はいかんともし難いものである。」「私はこの話をきいて以来、あの二本の公孫樹を見るたびに、日本の議会政治が、実生の公孫樹に育てあげられるのを待たねばならぬと、いつも思うものである。」「一粒の種子を育て上げる辛棒こそは、議会政治発達の重要要素ではなかろうか。」としています。
議会制政治の長い国と短い国の違いを感じますね。
ちなみに、イチョウのことを「大公孫樹」ともいいますが、「孫の代に実のなる樹」の意味があって、まさに議会人として長い時間軸で大所高所の議論が求められていることを感じます。
今は衆議院側のいちょうの木は立派に茂っているのですが、参議院側は少し葉が少ないのに気づくと思います。これは参議院側の木に落雷があり、一時はほとんど枯れかかったことがあるからです。今はなんとか復活し徐々に樹勢を取り戻しつつあります。
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