見出し画像

頭を空っぽにして文章を書く


朝の5時、おもむろにペンを走らせる。

ぼくは寝起きで書く文書が好きなのだ。まだ頭の中がボーっとしていて、内容なんて考えられない状態。頭の中を空っぽにして書かなければならない状態。こういうときの文書は、後で読むのが楽しい。

最近、文章を書くときにこの「頭の中を空っぽにすること」を心がけている。

考え過ぎない。いや、考えないで書く。

頭の中で構成しなければ、あとは今思ったこと、感じたことをそのまま出すしかない。
ぼくの場合は、考えずに書いた方が、自分の本音が出しやすい。


文章とはスタイルだ。

つまり、書く人のスタイルによって、読み手の好き嫌いをつくる。

「この人の文章好き」とか「この人の文章は好きじゃない」をつくれるは、その文章の書き手が自分の書くスタイルを持っているということになる。

文面を書いている人間にとって、最も恐ろしいことは「無関心でいられること」だ。好きでもなく、嫌いでもない。つまり、何も感じない状態は書き手の存在をなくしてゆく。

そしてぼくは、ノウハウやお役立ち記事こそが無関心を生み出してしまう、一番の原因だと感じている。

この無関心とは真逆のところにある文章になるのは「本音を晒す」ということだと考えている。

本音を出せば出すほど、読者の好き嫌いはハッキリする。それが関係性を築き、関係性を売るようなぼくたちの仕事には、なによりも大切なことである。


ただ、人間は見栄やプライドの生き物だ。
ぼくも自分のことを「なんてプライドの高い人間だ」といつも思っている。

だからこそ、そんな自分が本音を晒すには、考えさせないことである。頭を空っぽにして書くことで本音を出していく。


ぼくは寝起きで書く自分の文章を読むのが好きだ。自分の文章の読み手として、これだけハッキリと「好きだ」と言えるのだから、ぼくにとってこの書くスタイルは、間違っていないのだと確信している。

ありがとうございます✨いただいたサポートは今後の活動費にあてていきます!