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「あなたにとって、「マインドフルネス」とは?」〜最終レポート_「マインドフルネス for リーダーシップ」(2,000-3,000字程度で)〜

東工大院・リーダーシップ教育院の提供する「マインドフルネス for リーダーシップ」という授業で課された,ボクの書いた最終レポートを載せてみました。全7回の授業を通じて「あなたにとって「マインドフルネス」とは?」というテーマで,文字数は2,000字-3,000字程度です。

それなりに真面目に考えて書いてみて,自分が無意識に考えていたことをきちんと言葉の上に表現できた感じがしたので,これがどなたかとまた/初めてお話させて頂くときの,話のタネになるといいなと思います。

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[課題名]
最終レポート

[課題締切日]
2020/11/25 23:50

[課題概要]
A4、2枚(2,000-3,000字程度)で
1.あなたにとって、「マインドフルネス」 とは?(一般論ではなく、自分なりにどう理解しているか)
2. マインドフルネスの自分にとって「いいね!」と思えることは何?それはどうしたら身につけられる?
3.この授業の学びは、今後の自分の研究やリーダーシップ、そして人生に、どのように役立てられる?
4.*この設問は省きました。

[提出の際に利用できる拡張子]
.doc .docx .pdf

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1.あなたにとって、「マインドフルネス」とは?

 私にとって「マインドフルネス」とは,「自分らしさ」を尊重した自身へ向ける愛,そして,その心からはじまる他者へ向けられた気遣いや利他の心である。


 自身に向ける愛というのはエゴイズムやナルシシズムとも違う,それぞれに振り分けられた強みや弱みなどの様々な境界線を乗り越え全てを包み込む,生きとし生ける者のなかで最も自分を理解し受け入れる心のことを指す。いわば,信頼のようなもの。自己信頼を失ってしまったとき,自身が本来持ち合わせている個性や魅力は埋没されてしまい,自分の欠損部分だけが見えてしまい,周囲の声や考えに迎合し,その場における最大公約数的な自分となってしまうことだろう。もちろん,どこの場にも溶け込むことのできる人も,いわゆるその人の分人を他者としての立場から寄せ集めたとき,完成まで朧げなパズルを繋げていくように,また,もっとそのピースを集めて完成形が見たくなるように,捉え所がないという点で魅力的だ。けれど,私の心のなかに自身の色で輝いていたいという気持ちが,そのどこかに存在しているような気がする。きっとこの存在は,他者や風潮的な何かによって不明瞭になってしまっているのだろう。マインドフルネスの精神はその何かをいったん除いて,自身の全てに光を与えてくれるような気がする。私にとって,かつてから明らかにあるのは,時代や場所を踏まえた時に,「奇跡」という言葉にも収まりきらないくらいの確率で出会った他者にある「自身」を認識し,気がつけば,いつの間にか自身の愛がその「自身」へ向けられているということに気が付きたい。
 

 どの先人たちも,自身を愛することができない人間は他の人間を愛することはできないという。「マインドフルネス」は自身のなかで芽生える愛を生み出してくれる,そんな心なのだ。

 ——愛こそが他の存在を知る唯一の方法である。結合の行為のなかで、知りたいという欲求は満たされる。愛の行為において、つまり自分自身を与え、相手のうちへ入ってゆく行為において、私の自分自身を、相手と自分の双方を、人間を、発見する。
エーリッヒ・フロム(1991)『愛するということ』(鈴木晶訳),紀伊國屋書店,p.55


2.マインドフルネスの自分にとって「いいね!」と思えることは何?どうしたら身につけられる?

 自身にとってマインドフルネスの魅力的な点は,他者と迎合するための演技や偽りを必要とせず,自身の全てをありのままに受け容れるという心の在り方にある。この精神によって,初めて真の意味で他者を愛し,慈しむという行為に繋がるという点も同じくらい魅力的である。


 私はこれまで,他者やその場の空気感を第一の優先事項として捉えてしまい,今後を円滑に進めていくための振る舞いに講じていたという自負がある。自身の役割を考え,E.ゴフマンがいうような「役割距離」という行為を計算づくめで実演することが正解とみなしていた。このような精神の在り方は生来的とみなしても過言ではないような,かつてからの自分自身における性格であったりだとか,学部生のときに「人を喜ばせたい」という気持ちで始めた「レンタル彼氏」という仕事に従事していたことが尚更の後押しをかけたことだろう。その後,およそ1年半から2年間くらいの記憶が今でもほぼないくらいに精神を病ませてしまった。
 

 このような偽り的な「優しさ」から克服し,真の意味での優しさを持てる契機となるようなマインドフルネスをどう身につけるべきか。明確なのは,ここに形式知的なマニュアルは存在しないということ。きっと,マインドフルネスというのは暗黙知的で感覚のような概念なのだろう。「〜をするべき」といった文法でその答えを見出すことはできないが,ただ一つ言えることとしては「自身が持っている個性を尊重するべき。弱みや欠点もあるが,総合としてみたときに自分を含め,きっと誰もがその合計は【プラス/正】なのだろう。」ということだ。

しかし、人間には、そもそも誰にもそれぞれの色があり、においがあり、癖がある。そして人間の魅力は、その人の人格的なにおいや色と切り離せない・魅力的な人というものは、近くとくさいなとか、何かあの人の色に染められてしまうのではないかというぐらい、個性的な色やにおいを持っているものだ。
上田紀行(2005)『生きる意味』岩波新書,p.26

3.この授業の学びは、今後の自分の研究やリーダーシップ,そして人生にどのように役立てられる?

 この授業で学んだジョアン・ハリファックスをはじめとした様々な先人・偉人たちの考えは,私が現在研究対象としている男性学や男性性研究,および特に男性へ大きな貢献をもたらすに違いない。これは一男性である私や,私が今後も歩んでいく人生においても言えることではあるのだが,昨今の男性問題としてよく取り上げられる,ヘゲモニックな男性性という「男は弱みを見せてはならない」などといった伝統的に存在する観念が生み出す「生きづらさ」に,マインドフルネスの思想や精神がフィットするのだと私は考える。近年は,caring masculinityをはじめとした男性が被る「ケア」が注目されている。私の,求められる男性性によって生まれる生きづらさも含め,「ケア」の具体的な策の一つにマインドフルネスがあるのではないだろうか。

 もちろん,これはリーダーシップの点においても当てはまると私は考える。マインドフルネスの精神を踏襲することによって,個性などといった自身における実存を見失わずに他者との協働が実現し,何某かを犠牲にせずとも他者の考えや思想を受容しようとする心がここから生まれるのである。

「弱い人」は何もしないのではない。むしろ、他者の「弱さ」を敏感に感じ、寄り添える人でもある。私たちは「弱い人」たちを助けるだけでなく、「弱い人」たちにもっと学んでよい。「弱い人」の眼に映る世界、それに言葉の姿を与えてきたのが、哲学や文学の歴史にほかならない。 若松英輔(2020)『弱さのちから』亜紀書房,p.30

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