酒樽、帽子、洗剤
むかしむかしのことでした。
その街では、あるしきたりがありました。
酒樽の酒は神様に捧げるものだから、神様以外が飲んではいけない。
このようなしきたりがありました。
男の子が1人、いました。
美しい名前を持っていました。彼は自分の名前を誇らしく思っていました。友達からその名前を呼ばれる度に彼は鼻が高くなりました。
彼は、自分の名前をつけてくれた両親を知りません。
物心がついた時に彼を育ててくれていたのは、祖母だったからです。祖母はとても優しく、人当たりもよい、非常に尊敬できる人間でした。悲しいことがあると、男の子が好きなクリームシチューを何も言わずに作ってくれました。
コトコトコト…
男の子はクリームシチューの味も好きでしたが、煮込んでいるときのひそかな音楽が、至福でした。あの音色を聴いているだけで彼はゆっくりとした時間に包まれることができました。
しかし、祖母は両親のことを聞くと、必ず黙ります。
先程までのゆっくりとした、安穏が、突き刺すような沈黙によって破り捨てられます。
音楽も、死にます。
男の子が両親のことを感じられるのは、帽子だけでした。この帽子は、両親の面影を感じられるただ1つの形見でした。
星夜には、孤独な涙が似合います。
男の子は今日も1人で眠りにつきます。
夢の中で、男の子は音楽を聴きました。
クリームシチュー交響曲でした。
男の子はその音楽に合わせて、指揮を振ります。
お鍋やお玉、ニンジンにじゃがいもが指揮に合わせて踊ります。
男の子は楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
ドスンッ!
楽しさのあまり、男の子はベッドから落ちました。
お尻がひどく痛みます。
苦痛に耐えていると、祖母が心配して一階から上がってきてくれました。
男の子は気づきました。
帽子がありません。
「おや、坊や、帽子は?いつも肌身離さず被っていた。」
「楽しい夢をみていたから、どこかに飛ばしちゃったのかもしれない。」
「そうかい。楽しい夢を見ていたんだね、それはよかった。よかったねぇ、、、」
祖母は突然大きな笑い声をあげました。
これまでの弱々しい祖母とはまるで思えません。
「これで、やっと、お前を喰えるねぇ」
祖母はみるみる形相を変え、恐ろしい鬼の姿になりました。
ずしんっ
ずしんっ
祖母だった鬼が不気味な笑いを浮かべながら近づいてきます。
男の子は恐怖で動けませんでした。
祖母だった鬼の大きな口は、一口で男の子を丸飲みしてしまいそうです。その大きな鬼一口が、男の子を今にも丸飲みしてしまいそうな時、男の子人差し指に何かが当たりました。
帽子でした。
男の子は勢いよくその帽子を鬼の口の中に放り込みました。
帽子はピカッと輝いて、鬼の体内へと流れ込みました。
「ううううううあ!!貴様ぁ!!何を食わしたぁあぁ!」
祖母だった鬼は苦しみ悶え初めました。
苦しそうな嗚咽と共に、鬼は液体とも気体とも言えぬものを口から大量に吐き出しました。
その流れに押され、男の子の部屋は崩壊し、男の子は街の広場へと流されていきます。
街の広場には、神様が飲むための大きな酒樽があります。
今日はお祭りでした。
男の子は鬼が吐き出したものに押し流されます。
その後を、脂汗の滲んだ鬼が物凄い速さで追いかけてきます。鬼は再び大きな口を開け、自分が吐き出したものもろとも、男の子を飲み込もうとしました。
しかし、それよりも先に男の子は鬼が吐き出したものもろとも、酒樽に突っ込みました。大きな酒樽はその衝撃で大きくグラつき、鬼の口には酒樽の酒が大量に注ぎ込まれていきます。
「酒樽の酒は、神様が飲むもの。神様以外、特に鬼がそれを飲めば、その邪悪さもろともきれいさっぱり浄化される。言わば、神様印の洗剤といったところかね。」
男の子と一緒に鬼が浄化されるのを見ながら、知らないおじいさんがそう言いました。
「にしても、あと少しで夕刻も終えるところだったのに、坊やのおかげで飲みそびれてしまったよ。また来年までお預けかね。」
男の子は目の前がじわりと暗くなり、気づけば祭り囃しの中におりました。
目の前には鬼がおりました。
「うわぁぁぁ!」
男の子がびっくりすると、
「なんだ、このお面がそんなに怖いのか?(笑)」
鬼の顔は剥がれ、お父さんが現れました。
「お父さん…」
「なんだ?ちょっと探したんだぞ、ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃうんだから、お母さんも心配してるぞ」
男の子は泣きました。
「なんだよ(笑)泣きたいのはこっちだぞまったく…ほら、母さんとこいくぞ」
父親の肩に乗せられ、男の子は祭り囃しを背に受けながら、大人たちが群がる酒樽の方が気になり、ちらりと見てみました。
「ジン、帽子どこやった?」
「…なくした」
「まじか……今日何食べたい?」
「…クリームシチュー」
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