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海豹、荒唐無稽、東陽町

私は周りとは違う。そう思ってきた。私はそれゆえに群れることを拒んだ。周りとは違うということを証明するために周りとは違うことをした。そうした歪な精神構造を備えた私は、ついに自分の名前さえも捨てることにした。

斎藤順一は東陽町に勤めていた。彼の日常といえば毎朝きっかり6時に起床、カーテンを開けて朝日を浴びる、そのため、斉藤は東向きの不人気物件に好んで住み、しまいには東陽町にオフィスを構える企業へと勤めるに至った。かれこれ受験生の頃からこの生活を続けてきた。控えめにいってシステマティック、悪くいえば機械仕掛けの人間、斉藤順一はそんな自分が好きだった。朝日が好きだからといって東陽町に勤める人間が他にいるだろうかという自負があったからである。そんな彼は自分のオリジナリティをうまく社会生活に適合させるように忍び込ませていた。そんなうまく生きる自分のサバイバル能力も卓越したものであると感じていた。そんな斉藤順一のポリシーは「話題書は買わない」である。テレビでは近くの川に最近未確認生命物体がたびたび報告されているというさも大衆が喜びそうなおどろおどろしいイラストと共に紹介されている。もちろんこの話題を友人たちとワイワイ話すことなどしない。知ってても知らないふりだ。私は世間の話題のことには興味がないからだ。

斉藤順一は自分のオリジナリティをかといって対外的に見せびらかすというような愚かな所業はしない。あくまで普通でいることにより、自分のオリジナリティは遺憾無く発揮されるのだという自論を持っていたからだ。日常生活の中で斉藤順一は決して特殊な人間を演じようとはしない。誰もが焦り、エスカレーターへと足早に駆け込む際に、女性やお年寄りに先を譲るような細やかな気配り、コンビニで商品をレジへと持っていく際に「お願いします」と言い、会計を済ませて立ち去る際に「ありがとうございます」と言い置くことに自分のクリエイティビティを使うことが日常生活で披露する最大限のオリジナリティであると信じていたからだ。自分は人格者であり、一方で決して社会化をし切らない異端児でもある、そうした自己のあり方を斉藤順一は「ミックスド・アイデンティティ」と呼んでいる。

今日も斉藤順一は東陽町へと向かうため、水天宮前ではなく清澄白河を目指す。これも斉藤順一なりのオリジナリティである。清州橋を渡りながら隅田川を越えていく。何より、ここからの景色は美しい。宝石がぷかぷかと浮かび漂う。斉藤順一は自分の感性を研ぎ澄ますためにもどうしても清州橋を渡る必要があったのだ。荒唐無稽なSNSや国会中継、都知事選、働きかた改革、エンターテイメント、高等教育、地方創生、そうした蠱毒なる現状に辟易し、孤独を感じているのも自分一人ではあるまい。そうした呪術のような現実から一時的にも逃げるためにもこのジュエリーリバーを眺めることは生存にとって欠かせない栄養源なのだ。

そうしているうちに斉藤順一の目の前には橋の手すりに座っている1人の人間がいた。斉藤順一は歩みを止め、立ち尽くした。あまりにもオリジナリティに欠ける行動であり、何度もドラマや映画で観たクリシェであると感じるだろうなぁという妙に冷静な自分を感じつつも、斉藤順一は現実を処理するので脳のCPUはいっぱいいっぱいであった。算出される回答は「自殺だ」であった。

読者の諸君は手すりに腰掛けているだけで自殺と判断するのは時期尚早ではないか?と感じるだろうか。もしそう感じたならば、安心して欲しい、斉藤順一はまさしく数刻前までそう考える人間であった。すなわち諸君らと同様の合理的思考を持った立派に自立した人間であったと言わざるを得ない。斉藤順一は数刻前まで諸君らと同様の考えを「持っていた」。

人間の知覚のプロセスはまず全体を享受する。それから分析的に要素を分解し、その最初の近くを担保する。言葉で説明するよりも先に答えが決まっていることがおおよそである。斉藤順一はまさに今その知覚プロセスを疑いようもなく実感している。それは神の啓示のようにこだまする。目の前の人間はまちがいなく自殺を試みている。

自身のオリジナリティなど考える暇もなく、斉藤順一は自殺を試みているその人物に声をかけることにした。こうした時は決して取り乱しながら接してはいけない。そのギリギリの背中を押すことになるからだ。かの人物が橋に座るまでにどれほどの勇気を要したか斉藤順一には予想もつかなかった。とはいえ、日本は自殺大国だ、可能性として自分が自殺現場に遭遇する可能性はブータンに比べれば数百倍も高いはずだ。どうして今まで練習してこなかったんだ。なんて声をかけたらいい?斉藤順一は額に汗をにじませながら、できるだけ平静な声を演出した。額の汗はアクセサリーのようだった。

「いい天気ですね」

これが最善なのかは相手の応答次第である。命綱なのか自殺教唆なのかは相手が応答してからでないとわからない。幸い、そのどちらでもなかった。その人物は何も答えなかった。変わらない姿勢で、変わらない瞳で、川の漂う宝石の仲間に混じりたそうにしている。自分が宝石になれるかどうかを悩んでいるのだろうか。どうやらどこかの車の運転手が気づいたようで、遠巻きに電話をかけている。警察がそのうち数分で到着するだろう。それまでつなぎとめるということに全力を尽くそうと、斉藤順一は思った。

沿道の通行人、ランナーたちは異変に気づき、こちらに来ることをやめ、野次馬になりかけている。完全にこの場は斉藤順一に託されている。なぜ自分が偶然とはいえこんな役目を負わなくてはならないのか、斉藤順一は泣きそうになった。だがすぐに目の前の死と生のはざまを漂うまだ生きているその人物のことを置き去りにしてはいけないという気持ちが斉藤順一の目をかの人物に集中させた。斉藤順一はかの人物が女性であることを確認した。

「ここからの景色、」

女性がふり返った。あまりに澄み渡った表情だったもので斉藤順一は少し驚いた。死を自覚した人間はこうも安らかに生きているものか、斉藤順一にとっては初めて見るみなぎる生命力であった。斉藤順一は自分もこのように生きられたらいいなと思った。

「きれい、ですね」

素直な言葉がなんの思慮もなく発せられたことに斉藤順一はすぐに反省したが、表現されてしまったことを元に戻すことはできない。相手の応答を待つしかない。隅田川の交響曲は2人の間に明確な対位法を感じさせた。

「好きなんです。荒唐無稽な世の中で孤独を感じて、そうした呪いのような現実から一時的にも逃げられるんですよ。特に朝日の中では宝石みたいでしょ、キラキラで。」

「その、あなたも・・・」

「はい、宝石になりたいなって思ったんです。」

「ですが・・・・」

「わかりますよ。きっと私は宝石にはなれずに、限界まで水に犯されるでしょう。」

「はい・・・」

「そうなった私はまるで海豹みたいな、、、それじゃ海豹に失礼だけど、宝石じゃなくて海豹の仲間入りでしょうね。」

「海豹も、、かわいいですよ。」

「そうですか。」

斉藤順一は悟った。間違えた。失敗だ。この説得は失敗した。彼女は寸刻の間にその手すりから身を投げ、生命の誕生した大いなる母体へと帰っていくことになるだろう。斉藤順一は最悪の選択肢をとった。名前すら知らない彼女の重心がわずかに動いた。斉藤順一はとっさに駆け出し、彼女を羽交い締めにしようとしたのだ。駆け出した瞬間に斉藤順一の脳裏には「最悪だ」という言葉が浮かんだが、技量も理論も携えていなかった斉藤順一にとって最後の倫理的決断であった。この時の決断のことを斉藤順一はのちに「自分にオリジナリティーなどなかったことを確信させた」と語っている。

それを察した彼女がまさに折れた翼で江東区の空へと飛び立とうとしたその瞬間、彼女は羽ばたくのをやめた。斉藤順一は想定したスピードと自身の脚力とのバランスが取れず、惨めにも転んで手すりの下の柵に囚人のようにすがることになった。斉藤順一の目は一瞬彼女がクリオネのようにして落下するイメージが見えたように思えたが、彼女は飛び込むのをやめていた。斉藤順一は水面へと目をyった。そこには未確認生命物体がいた。なんてことはない、1匹のアザラシであった。控えめにいって、かわいかった。宝石と戯れるように優雅に流れていた。

「かわいい、、、」

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斉藤順一はこの日は急遽有給を取得し、第一発見者、重要参考人として1日中現場で事情を説明させられ、休む間もなくテレビ局の取材にも応じた。その後にかの彼女とは面会することはなかったが、警察に保護され、パトカーへと乗り込む彼女の表情からはあの生命力は消えていて、それこそ、以前に思い描いていた死を決意した人物のそれだった。彼女がどういった事情で別の生き方を選択しようとしたのかは知るよしもなかった。

斉藤順一は家の近くのコンビニでいつもビールをひと缶買う。いつもの店員さんが接してくれる。彼がいつものようにバーコードを読み取ってくれる。その事実に斉藤順一は涙した。なぜ泣いているのかは説明できなかったが、彼に怪訝な顔をされながら、斉藤順一は半ば大きな声で「ありがとうございます」と言って、500円募金した。



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