情報って気がついたら偏ってるけど、悪いこと?

こんにちは。起きてから数時間で終わってしまう午前中は、しっかりと何かをすると決めないとダラダラして時間を無駄にしてしまうなと思いながらも、ダラダラしてしまう林です。


今日は、noteのアカウント開設に伴って、Twitterの使っていなかったアカウントも使い始め3週間くらいが経ちました。
そこで思ったことについてまとめていきたいなぁと思います!

まず、noteもTwitterも僕がアカウント開設をした理由は2つ

1人の大人として、ビジネスマンとして大成したい
ネット上に僕という人間について記録しておくため

それで少しnoteを書いてみたり、Twitterで気になる人をフォローしてツイートを漁るようになったのですが、僕のTLに流れてくるツイートは、大きく分けて2つに分けられるなと思いました。

1.僕がフォローしてる人のツイート or RT
2.僕がフォローしてる人のいいね

引用RTや、リプなども1番に該当するとしたら、この2つしかないかなと思います。

そうすると、Twitterを利用するなら有益なツイートを見たいし、自分のためになるような使い方をしたいと思っていたのですが、気がついたら自分が気になる人関連のツイートしか出てこない。こうなると、自然と情報に偏りが生まれてしまうと危機感が生まれました。

でも、よく考えてみると、、、
そもそもなぜ情報に偏りが生まれるとダメなのか

そう思ってから考えた結果は、主にツイートには
・正解であったとしても確実に間違いであると断定できないもの(〇〇より⬜︎⬜︎の方が好き!みたいな感情ベースのもの)
・数字やデータに基づく唯一無二の正解があるもの

の2つに分けられるから、僕がこれから1人のビジネスマンになる上で、これから僕が関わる人たちは何を好み、何を嫌がるのかは、頭の片隅に入れておくことは大切だけれど、それらを鵜呑みにして愚直に信じ込むことは良くないのかもなって感じです。
でも、やっぱり愚直に信じることができるのであれば、それも大切だと思ったりもします。笑
#どっちだよ

僕の1人の人間としてのゴールに対してそれに到達できる道はいくらでもあるから、時には道があっているのかと右往左往して迷いながら進むよりも、愚直で盲目的にその道が正しいと信じて走り切った方が結果的にゴールへ辿り着くまでの時間も早かったりするのかなと思っています。

まとめると
愚直に盲目的に信じるに値するものは、信じて走りきってしまった方が話は早いかもしれないけれど、それに値するものかの判断はしっかりとした方がいいよねって話でした!
以上でーす。午後も頑張りましょう!

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