クレーム

仕事の詳細は語れないけれど。

今日はちょっとしたクレームに対応した。

なんとかマイルドに対応出来たと思う。


ところで、クレームってどういうものだろう。

過剰なサービスを求められているなと思うこともある。

理不尽な怒りやイライラをぶつけられてるようなこともある。

不安な気持ちだとか。個人的な感情。

かと思えば、本気で教育的指導だと思って言っている人もいる。

特にサービスの文化が行き届いていない外国とか、日本のおもてなしの心を伝えていかないとビジネスがうまく動かなくなるのか、私の父は海外出張中にホテルマンに色々と指摘をしていた。

指導、これが良い行いかどうか。

日本なら過剰な意見でただのお節介だ。日本に住む人々は大抵、自分の給与とサービスの質を、自分で考えることができる。なんとなく貧富の差はさておき、みんななんとなく日本人の平均的な価値観みたいなものをざっくりと把握しているように思う。

平均値から飛び抜けて贅沢をする時、例えば高級旅館やホテルでは、よりレベルの高いサービスが求められる。その分チップとか心付けだとかあったり、あとは宿泊費自体も大きい。

素泊まりOKのビジネスホテルやカプセルホテルはそれなりの値段でそれなりの設備とサービスとなる。

これが例えばインドだと、人々にサービスの質と給料の関係から教えないとビジネスが成り立たない。そういう立場の人がたぶんまだ多い。

インドでビジネスを進めたい人なら、お節介であっても会う人たちに指導せざるを得ないかもしれない。単身赴任のビジネスマンなら。現に父はそうした。ただの押し付けともなりかねない。しかし相手の文化を、形成されたもとの状態、経過を学んだ上で接している。

国の文化を変えることになりかねないかもしれない。しかしこの世の中でその国が経済的に成長するためには、その成長と共に自分のビジネスを進めるには、価格と価値の関係を、多くの人に知ってもらう方が良いのだろう。

そんなわけで父の指導はお節介であり、自分のためなのである。

さてクレームってのはなんだろうか。価値と価格を知る日本人の口から出てくるクレームというのは、なんだろうか。それは指導か、八つ当たりか、それともこちらの間違いを正して欲しいという正当な主張か。

なんて、私には人のことや価値観まで気にする度量はない。言われたことや雰囲気に、最適解を探して返すだけだ。

クレーム対応、相手が自身の主張しながらでもこちらの主張も聞いてくれる時だとか、反対に聞く耳持たないような時とか、ああ、とにかく、エネルギーを使うことだなぁ。

理性的に穏やかに、話をさせてもらいたい。相手も私に諭してきたが、こちらも相手を諭す気持ちだった。

よくやったよ、話。



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