恋と理性と別れの話

今は恋人がいても、昔は恋愛の話が苦手だった。

小学生まではむしろ楽しんでいたけれど、中学のある時を境に苦手に感じるようになった。

発達心理学では中高生は同性との仲を重視すべき期間だという。

中高生の男女の関係は確かに、同性の目を意識するところがある印象だ。

今になってみれば、つまり当時よりもおとなになってみれば、恋愛はふたりの世界ということが分かる。

周りが見えないということではない。互いの周囲のことも尊重し合えるのが理想的な関係だと私は思う。

恋人同士の決まり事はは恋人同士の数だけあるということだ。

ちなみに、ハーレムみたいな文化も関係者が満足していればそれでいいと思う。

私は少なくとも現時点では体力的にも金銭的にも責任を持てないので、叶えることはできない。そもそも相手はひとりで満足している。

私は恋愛関係というものは、お互いへの誠意と責任感だと思っている。

性別や人数より、人間性が重要だと考える。


恋愛は本能に寄るところが大きい。

におい、味、そういう動物的な相性を、社会に当てはめるのが恋人として付き合うとか結婚とかいうものだと思っている。

自分が本能的に好きだと思える人とでなくては、一緒にいることなんて我慢ならないだろう。


そして恋愛は、本能だけではない。

例えば女性は顕著だが、男性も、ホルモンバランスが変わってくる。

歳を取ったり事故に遭ったり病気になったり。考えたくないことはたくさんある。

そうでなくても、理由なくいきなり何かが変わることはあり得る。

そもそも恋愛の賞味期限は数年だという。

本能的に相性が良くても、後から条件が変わってくる可能性は大いにあるのだ。


人間は変化する。

自分も相手も変化していく。

だから、本能の部分も重要だが、理性に立ち返った時の相性も大変重要である。

そして理性的な部分もまた、変化する可能性はある。

相手が病気になったり、何かの理由で突然心変わりしたり、自分が突然関係性に価値を見出せなくなったりしたらどうするか。

誠意や責任という言葉を使ったが、相手が突然変化する可能性も考えて、その時どうするかを考えておくというのは、理にかなったことではないだろうか。

日頃から、お互いを個人としてお互いの生活を尊重したり、マンネリだとかを回避したりの努力は必要だ。これは理性の範囲内である。

それでも、もしかしたら何かの変化を理由に別れが訪れるかもしれない。

努力をしたくなくなることがあるかもしれない。

そんな時に相手をただ遠ざけるのか。どう遠ざけるか。

お互いがお互いによって傷付くことなく、別れ完成させるにはどうするべきか。

信頼しないということではなく、可能性のひとつとして、きちんと取るべき行動を考えておいていいのではないか。

自分が別れの時まで、相手を思いやることが出来るかどうか。

私は人間について常に誠実にありたいと考える。

とはいえ普段から別れを考えると気が重いので、頭の片隅にだけ置いておく。

私は相手を愛するからこそ、自立した自分でありたいと思う。
それが、自由で幸せな人間関係で、愛だと思う。

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