母さんがかわいい

私とは気が合わない母だが、時々自慢したくなるかわいさを発揮する。


数年前のことだ。

「ディズニーランドに行こう」

どちらからともなくLINEで誘ったテーマパーク。

「私、登録してるからチケット取っておくよ」

乗り気な母に若さを感じて、ほんわか安心しながら連絡を待つ。

数分後。

「年齢サバ読んで誕生日違うからログインできない!!」

いつぞやのディズニーで年甲斐もなくはしゃいでしまったのだろうか。
それで恥ずかしくなっちゃったのだろうか。

チケットは無事取れた。
ディズニーランドはいくつになっても楽しめるテーマパークだと私は思っている。


また別の話である。

「ゴルフのお一人様、お得に行けるのよ」

ひとりの休日にはゴルフを嗜む母。

ゴルフはひとりだけではコースを回れない。ペアを組んで回るスポーツなのだ。

あと1人が見つからないという事態が度々起こる。そういった時に、専用のwebサイトで募集をかけるのだ。

母は他人とコミュニケーションを取ることは苦手だが、ゴルフへの愛で、その余ったひと枠に入り込む形でゴルフに参加する。

「ねぇ小春、この人のグループどう思う?ちょっとこのメールのやりとり、気難しそうよね」

覗き込むと、母のプロフィールが見える。
5歳以上若い年齢で書いてある。
50代のはずが40代で表示されている。

「それ、サバ読む意味あるの?」

実際に会えば、むしろ「老けて見える」ということになるんじゃなかろうか。ゴルファーも相手を年齢で選ぶわけでもないだろうに(いや、選ぶのかもしれないが)。

「うるさいわねっ」と一蹴された。
女性に年齢の話はタブーであると、私は母に学ばされている。



親戚の美容整形外科へ行ったらしい。

「8割もまけてもらった!」

喜んでいたが「モニターになるって言っちゃった。写真撮られた。晒し者だ。」

了承したのではないのか母よ。

聞けば思いっきり仏頂面で撮影してもらったとか。

写真を使われない作戦だそうな。

私は呆れてしまったが、こういう懸念がきっと、「かわいい」なんだと思う。
母は面倒くさい。私もまた面倒だが。

母は面倒くさくて、その面倒くさいところを父に許されている。私はずっとそれを見てきた気がする。


もう50歳の後半。母は今でもかわいらしい。
母になった人なので、強さはある。それでも同時にいじらしさを感じると、敵わないなと思う。

私の母は私に無いかわいさを持っている。時々我儘を出すし、女性らしさを出す。急に意見を変えてみることなどもある。やたらと怒られることもある。

論理的でない!と私がイラついてしまうようなことも。

私にはない。そんなかわいらしさを持っている。
そしてかわいいから、それを許されているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?