ヴィパッサナー瞑想の全て
瞑想に興味のある方、ヴィパッサナー瞑想に興味のある方、これからも幸せに生きていきたい方向け。
今回のnoteでは、ぼくがインドで体験してきたヴィパッサナー瞑想の全てをまとめました。限りなくタイムスケジュールに沿ってまとめましたので、瞑想に興味のある人はぜひご覧ください。
■本記事の信憑性
ぼくは2021年の12月に、実際にインドで10日間のヴィパッサナー瞑想コースに参加してきました。
そもそもなぜ瞑想をするのか?ヴィパッサナー瞑想を選んだ理由、実際にコースを予約する方法、日本でも受けることができるのか?など網羅的にまとめましたので、じっくりご覧いただけますと幸いですm(_ _)m
(ヴィパッサナー瞑想の10日間を終えた直後、ホヤホヤの感想をInstagramに投稿しました)
■YouTube動画
ヴィパッサナー瞑想に行ってきた体験を動画にてシェアしました。実際に瞑想を受けてきた瞑想センターの中、たくさんのインド人がくつろいでいる様子なども楽しめるため、まずは動画を観ることをオススメします。聞き流しでも理解できると思います。
まずは、ヴィパッサナー瞑想期間の1日の過ごし方をシェアします。
タイムスケジュール
4時:起床
4時半〜6時半:瞑想
6時半〜7時15分:朝食
7時15分〜8時:休憩
8時〜9時:グループ瞑想
9時〜11時:瞑想と先生の講義
11時〜11時45分:昼食
11時45分〜13時:休憩
13時〜14時半:瞑想
14時半〜15時半:グループ瞑想
15時半〜17時:瞑想と先生の講義
17時〜17時半:軽食
17時半〜18時:休憩
18時〜19時:グループ瞑想
19時〜20時半:ビデオ視聴
20時半〜21時:瞑想
21時〜21時半:質問タイム
21時半:就寝
このように1日10時間の瞑想を10日間行います。朝は4時起きで夜は9時半には就寝します。10日間は毎日タイムスケジュールに沿った行動を続けます。
瞑想をする時間は1回につき最大2時間となっており、最も短い瞑想時間は20時半〜21時の30分間です。個人的には朝イチの4時半〜6時半まで行う2時間の瞑想が最もキツかったです。。
メモすら取れない環境でしたのでココからは記憶を思い起こして、10日間の間で自分の"精神"と"肉体"に何が起きていったのか?を時系列順に書き記していきます。
noteの最後には、ぼくが何を悟ったのか?悟りの境地とは一体何なのか?結局ヴィパッサナー瞑想とは何なのか?を包み隠さず書いていますので、ぜひ最後までお読みいただけると幸いです。
0日目
遂に今から10日間の修行が始まる…。
これまでの人生で経験したことのない未知なる日々に、ぼくは楽しみと不安で胸を膨らませた
0日目は14時には瞑想センターに到着するようにとメールでの案内があったため、ぼくは少し早めの11時過ぎに瞑想センターに入った
0日目に施設に着いてからは手続きを済ませた
パスポートのコピーとビザのコピーを取った後に、5つの戒が書かれた誓約書のようなものを読まされる
インド人はお喋り好きなため、大量の人に声をかけられコミュニケーションを楽しんだ。
日本からわざわざ、インドの田舎のガヤにある瞑想センターに来たのが、珍しかったのか?それとも、明日からコミュニケーションが取れなくなることをぼくたちは知っていたため、もしかすると最後のコミュニケーションを楽しもうとしていたのか?息をつく暇もなく話し続けた
ぼくの他に外国人はアメリカ人カップル、ロシア人女性、ハンガリー人カップル、アフリカ人男性、他に数人ほどでおそらく10数人だった、コロナ前から比べると半分以下に比率が下がったらしい、それでもインドから参加するインド人が多くいたため今回のコースには150人ほどが集まっていた
男女は分かれて10日間を送った、コロナの期間中など人数が少ない場合のコースでは男女で一緒にグループ瞑想を行うこともあったらしい
手続きを済ませた後はランチを取ることを促された、もちろんヴィーガン料理である、野菜カレーやチャイを楽しんでいるとぼくのTシャツを見たインド人から「君はYouTuberなの?ぼくもYouTuberなんだ、どこの国出身なの?」と声をかけられた、最終日に一緒にYouTubeを撮る約束をした
日本人女性の妻を持つインド人の方に声をかけられ、久しぶりの日本語での会話も楽しむことができた
ランチを取った後はこれから10日間過ごす部屋をチェックしに行った
部屋に入るとまず抱いた感想が「狭い、ベッドが2つ、蚊が多い」だった
一人で過ごすのか複数人で過ごすのかすら知らなかったため、ベッドが2つあることに驚いた
少し待っているとハンガリー人の男性が部屋に入っていた、どうやらこれから10日間の期間はこのハンガリー人と一緒に過ごすらしい
軽く挨拶を済ませた後、ぼくたちは「明日からは話すことも禁止だね、これは絶対に守ろう、一緒に最後までやり切ろう」と、固い約束と決意を交わした
部屋の中の蚊の量が多すぎて、部屋に蚊が入ってきたのではなく、蚊が住んでいる場所にぼくたち人間がお邪魔するような感覚にすら陥った
ホットシャワーは朝の数十分のみ出てくる、そのおかげでシャワーを浴びたのは2日に1回ほど、ホットシャワーが出てこない日もあった、この辺はさすがインドらしいといったところ
部屋に10日間で必要になる衣類や歯ブラシなどの日用品だけを置いてきて、約束の午後3時半にスマホやパソコンといった全ての荷物をロッカーに預けた
しかし午後6時頃までは遅刻してきたインド人が手続きを済ませていたため、3時間ほどはまたインド人との会話を楽しんだ
全ての参加者が手続きを済ませた後、ぼくたちは1時間ほど食堂でヒンディー語と英語によるアナウンスを聞いた
その後はいよいよ瞑想ホールへと向かった
0日目の夜にも関わらずなんといきなり瞑想が始まった
ヒンディー語と英語でのアナウンスだったため、ぼくは訳もわからず見よう見まねで瞑想を開始した
ヴィパッサナー瞑想に来る前から1年半ほどマインドフルネス瞑想を実践していたため、瞑想をすることは容易かった
……が、久しぶりの瞑想で早速1時間もの長時間瞑想をしたためかなり心身に堪えた
瞑想を始める前にみんなで誓いの言葉を発した、ヒンディー語ですらないインドの地方で使われていた昔の言葉らしい、その時は0日目の夜から80人ほどが暗闇で言葉を暗唱している状況を見て「まじで怪しさMAXのヤバい所にきてしまったのかもしれない。。」と少しの不安を覚えた
0日目の夜はまだ他人とコミュニケーションを取っても良かったのだが、誓いの言葉と1時間ちょっとの瞑想を済ませたぼくたちは一気に気持ちが引き締まり、部屋の中でルームメイト同士で喋ることはなかった
ヴィーガン料理のみが提供される場所、さらに無駄な殺生は避けるようにと言われていたので、蚊を殺すこともなかった、おかげで0日目の夜には数十カ所を刺された。。。
1日目
1日目の朝はハンガリー人が部屋に持ち込んだ目覚まし時計の音で目を覚ました、その後にゴーンゴーンと起床のベルが鳴り響いた
ここブッダガヤはインドでも西北あたりに位置するため、朝と夜はかなり冷え込んでいた、体感的には10℃ほど
場所としてはかなり田舎になる、昼はノラ牛のモーモーといった鳴き声、小鳥の囀りが常に聞こえる、夜になると野良犬のテリトリー争いなのか吠える声が鳴り響く
インドでは大気汚染のため星空を眺めることができないのだが、ブッダガヤでは毎日一つか二つだけ星を観察することもできた
ぼくは0日目に瞑想センターに入った時、まず中の綺麗さに驚いた。決して日本のような綺麗さではないが、インドの街中から比べるととてつもなく綺麗でクリーンな場所だと感じた
だから1日目の朝、これから10日間は裸足で過ごそうと決意した
ぼくが裸足で過ごしたかった理由は以下の3つだ
①子供の頃のように過ごしたかった
②全身で地球を感じたかった
③瞑想ホールに入る際は裸足にならなければいけないため、1日に何度も靴を履き替えるのが億劫だった
1日目の瞑想を始めると、早速たくさんのことに気がついた
まず初めにはインド人の「オナラとゲップ」の多さだ。。
これはインドの習慣なのか、彼らはオナラとゲップをする際に決して音を消そうとしない、むしろあえて音を出しているかのように出すのだ。。(誰か詳しい人がいれば教えてほしい)
瞑想中はなるべく静かに瞑想をしたいものだが、インドの瞑想ホールでは5秒に1回はオナラとゲップが鳴り響く
次に気がついたのは「身体の痛み」である。ぼくたちの生活では、実は同じ姿勢で座り続けるといったことがまずない
同じ姿勢に見えても少しずつ姿勢を変えながら痛みを分散して座っている、だが瞑想中はなるべく動いてはいけないため、とにかく身体の痛みを感じた
次は「痒み」だ
前日の夜に数十箇所を蚊に刺されたため全身がとにかく痒い!!もちろん瞑想中は、体を掻くことができないのでツラかった。。
5秒に1回は「ブッ」や「ゲッ」といった音や、「ガサガサ」といった物音がするため、はじめはとにかく周りが気になってしょうがなかった(そりゃ80人前後の人間が同じ場所に集まると音くらいするさ)
ぼくは心の中でこう唱え続けた
I'll do my best (自分の最善を尽くすのみ)
周りの人間と決して比べず反応せず、自分は自分自身の最善を尽くす10日間にしようといった意味だ
もしぼくが周りの人間と自分を比べて瞑想をしていたのなら、おそらく10日間の瞑想を十分に体験できなかっただろう
こういった心の中まで整えられることができるのは瞑想の良さの一つだ
1日目からいきなり10時間の瞑想が始まるわけだが瞑想中は時間の流れが本当にゆっくりに感じた
1日が1週間のように、2時間が3日間のように、10分が1時間のように、1回1回の呼吸がまるで永遠に続くかのように…
たった1回の呼吸の間にも心の中はあらゆることを考えるのだと体感できた
これまでの人生では1時間おきに30分おきに、ひどい時は5分おきに時計を気にするような生き方だったが、10日間の期間中は時間を気にすることが極端に少なくなった
配置されている時計の数が少ないことも原因の一つ、瞑想中は目を開けてならない(時計を確認できない)ことも原因の一つ
23年間の人生でズレていた体内時計が完全にリセットされた
瞑想を始めると初めはさまざまな欲望が頭に浮かんできた、これをヴィパッサナー瞑想では「渇望」と呼び教えられる
10日間を終えるとやりたいこと、これからのYouTubeの進め方、インドでやりたいことなどだ
さまざまな渇望がひとしきり頭に浮かんだ後は、昔の思い出が記憶として頭に浮かんできた
実は、記憶は2種類に分けられる。一つ目が「よく思い出す記憶」だ
1日目の瞑想中にはこれまでの生活でもよく思い出すような記憶が頭に浮かんできた
1日目のご飯は予想していた通り野菜カレーやその他のベジタリアン料理が提供された、午後5時最後の食事として「軽食タイム」が設けられているのだがその時間に飲む「チャイ」の美味しさに感動した
夜の瞑想とビデオ視聴のコースを終えると一気に達成感に包まれた…
「あぁようやく1日が終わった。。人生でこんなにも1日を長く感じたことはない、今日が最も長く感じた1日だった」
10時間の瞑想を終えた体で部屋に戻っても1日目を終えた喜びや感動をルームメイトとシェアすることは許されない、10日間を終えたら存分に話をしようと心に決めて、9時半に眠りについた
2日目
2日目の朝も昨日と同様にルームメイトの目覚まし時計で4時に目を覚ました
眠たい目を擦りながら裸足のまま瞑想ホールに向かう、外はまだ真っ暗で月が見える。
さっそく朝から2時間の瞑想を終えると時刻は6時半、外には太陽が昇り朝日を眺めることができた
「朝日を眺めるだけなのにこんなにも気持ちが良いなんて…」
自然の素晴らしさを改めて実感することができた
1日目~3日目のお昼までは、鼻と口の間の人中の呼吸に集中するアーナ・パーナ瞑想というものを行う、ここではまだヴィパッサナー瞑想を習わない
ヴィパッサナー瞑想は3日目のお昼から行う、1日目~3日目はいわばヴィパッサナー瞑想の練習のための期間といったところ
2日目も1日目と同様にさまざまな渇望や過去の記憶が頭に浮かんできたが、1日目よりは時間の長さに翻弄されずに済んだ
それでも1日の時間を3日分には感じたが、、、
3日目
「いただきます」という言葉は、いただく食べ物に感謝を表すものではない。「食べる」という行為自体に、感謝を表すことなのだと体感で知った。
3日目4日目あたりからだんだんみんながこの環境に慣れ始めてくる、自然と自然と共存するようになっていく
朝は朝日を眺め、お昼の休憩時には草木や生き物を眺める
大量のインド人が同じ場所で太陽に向かって立っている様子はなんだか面白かった
瞑想センターではあらゆる刺激が禁じられる、そのためにただ自然を観察しているだけでもニヤけたり面白くなってくる、鳥が飛び立つ時や蝶々が花の蜜を吸う様子を観察していた、おそらく小学校低学年ぶりだ
3日目以降の瞑想中には、これまで思い返したことのなかった古い記憶まで思い出すことができた
「そ、そういえばこんなこともあったな…」これまで思い出したことのない記憶を思い出すことは新鮮だったが、同時に23年という時の長さを少し怖くもなった。
4日目
4日目はなんと朝に1時間の寝坊をした
ルームメイトの目覚まし時計にも、瞑想センターが鳴らしている起床のベルにも全く気がつかなかったのだ
急いで顔を洗い瞑想ホールに入るとぼくを除く80人ほどのインド人が瞑想をしていた、インド人はもっと遅刻をするのかと思っていたが朝の時間には皆きちんと瞑想をしにホールに座りにきていた
4日目あたりになると記憶として認識したことのなかった新たな記憶が頭に浮かんできた、これが内なる自分と対面するということだ
5日目
5日目以降は欲望が頭に浮かぶことが少なくなってくる、過去の記憶よりも未来に対する考えが頭に浮かぶようになった(あくまで個人的な感覚です)
ヴィパッサナー瞑想は宗教とは異なるのだが、ダーマ(Dhamma)という教えを習う、宗教的なワードを多く使うためこれが宗教だと勘違いされる理由である
考え方としては仏教にかなり近い、仏陀が使っていた瞑想法であることも原因の一つ?
宗教というものは単なるコミュニティであり、ある種の自己満足でしかない。「明日から私は仏教徒だ」といったところで、実際は何にも変わらないのだ
あらゆる宗派が存在して異なる考え方を持つが、全ての考え方は基本的にはDhammaに行き着く(らしい)
ぼく自身はDhammaを完全に信じることにした。瞑想期間中に観ていたビデオで、完全に信じなければ瞑想の効果を完璧に感じることができないと言われた。この辺もある種の宗教っぽさ、洗脳っぽさを感じることは確かだw
だが10日間の期間、生活の全てをコントロールできる環境下ならどんな洗脳もすることが可能だろう、しかしヴィパッサナー瞑想ではそのような洗脳は一切行われない、その事実を感じたからこそ信じて練習して良いんだと自分に言い聞かせることもできた
満月の模様が勾玉に見えた
あらゆる感覚が敏感になった、髭の1本1本の動きすら感じられるようになった
6日目
6日目あたりから右目の端っこに、時々だが白い球が流れて見えるようになった、シンプルになんだこれ?ヴィパッサナー瞑想を終えた今は両目に見える
※追記:ヴィパッサナー瞑想を終えてから3ヶ月経った今は何も見えない
7日目
スミマセン、7日目のことは詳しく覚えていません。。いつもと変わらない日って感じだったと思います。
8日目
同じ姿勢で座り続けることができたのは最大で2時間20分、確か8日目の朝だ
8日目の夜には、1日の最後の瞑想中に、「愛と慈しみ」の気持ちが溢れ出てきて、数年ぶりに涙を流した。。目を瞑りながらでも涙は頬に落ちていくんだと、変なことを思っていたのを覚えている
コチラの動画でも話しています→ https://youtu.be/1wIcV0IM0r4
感覚は目の前に常に流れ続けている。一瞬一瞬、新たに生まれては消えを繰り返している。1秒として同じ時間を過ごすことはできない
ただ目の前に流れ続けている感覚に気づく練習、ただ観察する
決して感覚を感じようとしてはいけない、それは渇望になる
ある特定の感覚に囚われてはいけない、痒み・痛み・痺れなどあらゆる感覚を感じることが可能である
感覚はさざなみのように波動として流れている、身体中に波動を感じられるようになる、波動は部屋の中などの空間にも常に流れ続けている
ヴィパッサナー瞑想センターのような場所では全員が良い波動に変わっていくため、瞑想をするための環境としては非常に良い
手や指先から波動を感じやすい、やがて顔にもビリビリと波動を感じられ、次第に体全体に流れ始めていく
痛みはもはや感覚である、ただの意識である、極限まで集中した時、人は痛みを感じなくなる
まず初めに体の痛みがやってくる、そのまま感覚に集中し続けていると次に心の痛みがやってくる(過去の記憶や欲望などを頭で考え始める)
それらに反応をせずただ観察を続けていくと、やがて身体中の感覚に気がつけるようになる
9日目
9日目は特に詳しく覚えていません。。いつもと変わらない日、もう少しでヴィパッサナー瞑想期間が終わることに、楽しみと少しの寂しさを感じていた気がします。
10日目
全ては一つである、私たちに違いはない、そもそも「私」や「あなた」という概念すら存在しない
だがヴィパッサナー瞑想を学んでいる者でも、提供された食事に髪の毛が入っていて怒った生徒がいたそう…彼は髪の毛と私を、私とあなたを分けて考えていたのだ
↑このストーリーをビデオで観た次の日に、なんと食事に髪の毛が入っていた、さらに次の日にも髪の毛が入っていた、もはやビデオを観せた後だからと、わざと入れたんじゃね?と感じるほど。笑
瞑想センターに来てから10日目にはなんと携帯やPCといった電子機器を利用することができた。
なんでも、ここで10日間もの日数を過ごした後すぐに下界に戻るのは刺激が強すぎて危ないんだそう。
ということで10日ぶりにスマホを開いてみるが、まず初めに抱いた感想は「光がつえぇ〜」だった。スマホやPCのディスプレイから放たれる光は、自然界に存在していないほど強いのだと気がついた。。
数分間スマホの画面に集中しているとすぐに目がチカチカしてくる。これまでの9日間は24時間中16時間半もの間、目を瞑っていたことおかげでもありそうだが。。。
悟ったこと・まとめ
ここからは、0日目~11日目の計12日間のヴィパッサナー瞑想期間で得た、ぼくなりの悟りや気づきをメモとして残していきます。お時間のない方は、このまとめの部分だけ読んでいただいても大丈夫です。
まず最初に感じることは、ヴィパッサナー瞑想に行ってみて本当に良かったと思います。本記事でも書いたように、知識には三段階あるということを自分の身をもって感じられたからです。
コチラの動画でも話しています→ https://youtu.be/1wIcV0IM0r4
ヴィパッサナー瞑想のことは知っているけど、、、
瞑想に興味はあるんだけど、、、
情報化社会の現代なら、少しネットで調べれば、あたかも自分が体感しているかのように知見を広めることができます。
……でもそういった情報って、どこまでいっても浅いんですよね。
自分の身をもって体感したことは、経験を通して知識となり、あなたを人として成長させてくれるでしょう。つまり情報に深みが増すんです。
たくさんの情報に触れて知見を広めることはもちろん大切ですが、一つのことを自分の経験を通して身をもって学ぶことはもっともっと重要なフェーズです。
それはまるで、旅のようなもの。家にいても海外の生活を知ることはできますが、実際に海外に旅に出てみると、今まで気づけなかったたくさんの事象が起こり得ます。
だからぼくは旅をし続けますし、瞑想を生活に取り入れています。自分の身をもって体験することを重要視しており、ヴィパッサナー瞑想に行ってたくさんのことを学ぶ中で、改めて「体験することの価値」を再確認できたからです。
このnoteを最後まで読んでいただけたということは、少しばかりヴィパッサナー瞑想に興味を持っていただけているんだと思います。(しっしーという人物に興味を持っていただけてるのなら尚嬉しいです)
とはいっても、いきなり10日間も時間を取れる方は限られていると思いますので、そういった方は本を読んでまずは「知る」ことから始めてみるのも良いでしょう。
そしてまだ動画をご覧いただいていない方は、ぜひ一度YouTubeの方もチェックしてみてください。
最後はヴィパッサナー瞑想中に何度も耳にした言葉で締めようと思います。
生きとし生けるもの全てが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩みや苦しみが無くなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるもの全てが幸せでありますように
ではまた次の記事で。
行ってきますッッッ!