僕が母へカミングアウトを決意した理由
先日とある夢を見た。
母親の夢だ。
僕が小学生の頃くらいの、若くて綺麗だった母親がそこにはいる。
元気そうに見えるが病気に侵されている様で、会話が出来るのはどうやらこれで最後という設定らしい。
母親が語りかけてくる。
「彼氏さんは元気? ちゃんと二人で仲良くやるんだよ」と。
まるで兄に夫婦仲を伺うのと同じ調子で。
もうこれで最期か、という寂しさで胸は一杯である。
それと同時に、秋の柔らかい風と一緒に金木犀の香りを吸い込んだ時の様な、何とも言えぬ安心感がふいにこみあげてきて、ハッとする。
———そこで目が覚めた。
窓の外は光が射していて、鳥たちの鳴き声が一日の始まりを告げていた。
せっかくの休日だというのに、普段と変わらない時間に起きてしまった。
だからといって、損をした気分にはなっていない。
むしろ清々しい朝である。
さっきの夢の続きを見たくて、もう一度目を閉じてみた。
「そういえば、夢の中で、『俺』が元気かではなく、『彼氏』が元気か、聞いてきたな」なんてことを思い出して顔がほころんだ。
きっと夢の中で安心感がこみあげてきたのは、その言葉が等身大の僕を受け入れてくれているという現実世界を写した何よりの証拠だからだろう。
僕は1年ほど前、三十路を過ぎて初めて母親にゲイであることをカミングアウトをした。
不思議と、そこまで緊張はしなかった。
手取り早くラインで伝えたから、というのは理由としてあるだろう。
律儀さには欠けるが面と向かってだったら、きっと未だに言えていないと思う。
「今、同棲をしています。相手は女性でなく男です」
と、ぱっと見は味気のない文章の様で、実はパンチが効きすぎている文章を送り付けた。
大学を卒業し、社会人として家を出てから約十年ものあいだ、実家に帰ったのは数える程だし、ラインのやりとりも3、4ヶ月に1回あるかないかである。
そんな距離感で、この内容。
寝込を襲われたかの様な突拍子もない告白に、さぞ言葉を失ったことだろう。
マークシートの回答がずれていることに残り時間10分で気づいてしまったかの様に、「もうどうにでもなれ」といった気持ちと、「まだやり直しを図れるかもしれない」といった気持ちが混在しつつ、どんな返事が来るのだろう。と、様々な可能性を想像しながら、既読マークがついた自分のメッセージで終わっているラインの画面を眺めていた。
一番可能性が高いのは、「まぁ、昔から女の子の友達多かったもんね」のような、なんとなく気づいていましたよ。といった感じの内容である。
できればこのパターンでお願いしたい。
もしくはよりドラマチックに、「あなたはどんなことがあっても私の子だよ」みたいな感動パターンに落ち着くのだろうか。
はたまた、受け入れられずに縁を切られてしまうのだろうか。
だが、届いた返信はそのどれでもなく、画面にはたった一言だけが映し出されていた。
「混乱しています」と。
なんだ。気づいていなかったのか。
「俺って意外と演技が上手なのかな」なんてまるで真夏におでんを食うようにその場に全く似つかわない感想を抱いて、力が抜けた。
こうして、僕は30年かけてやっと折り合いをつけられる様になってきた自分自身の問題を、たった一日で母に背負わすことになった。
そうまでしてもカミングアウトをしようと思ったのには理由がある。
現実的な理由としては、実家から電車で一駅の街でパートナーと同棲を始めたことにある。
この距離感でごまかし続けるのはさすがに無理があると思った。
ちなみに、本当は同棲を始める迄には伝えようと思っていたのだが、やっぱり勇気が出なかった。
アディショナルタイム、実に1年。
そして、一番大きな理由は、親にちゃんと「幸せである」ということを伝えたいと思ったからだ。
女っ気が無く、趣味も無い僕を見ていて、「孤独が好きな神経質な人間」と母は思っていただろう(し、実際にそう思っていたらしい)。
実家に帰る度に老いていく母を見て、そう思われたまま死なれていっては困ると思った。
結婚することも、孫の顔を見せてあげることも出来ない
けれど、ちゃんと自分は愛を知っている人生を生きているよ。
彩のある人生を生きているんだよ。と、伝えたかったのだ。
勿論、不安もあったが、孫の顔が見られなくなることよりも、本音を小さい頃から死ぬ迄、親である自分にすら打ち明けられずにずっと抱え続けさせる。そのことの方がよっぽど悲しいと思う筈だと、母の価値観に賭けてみた。
その考えが僕の中に浮かんでくること自体、本来一番感謝すべきことなのだろうと今では思う。
結局、ラインでのやりとりの数日後に直接話をすることになった。
今は一人の人間として生き方を尊重してくれている様に感じる。
カミングアウトをする前と後で状況的に変化は特に無い。
実家には相変わらずあまり帰らないし、ラインの頻度も変わらない。
けれども、一つだけ変わったことがある。
3ヶ月に1回送られてくるラインには、あの夢の様に「彼氏さんは元気?」と書かれている。
その文字を見るとやはり、僕の顔はほころぶのだった。
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