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周りにカミングアウトをせぬまま、男二人暮らしを始めてしまった話

先日、部屋の更新をした。
僕とパートナーが住む男二人暮らしの部屋だ。

いざ二人暮らしを始めるまでは、同性パートナーと同棲している人はみんな、「自分は同性愛者である」という事実への葛藤なんてとっくの昔に片付けていて、「自分の生き方」を確立している人達なんだと思っていた。

「家賃手当の申請で会社からゲイだとバレるんじゃないか」
「家族や周囲にはなんと説明をしよう」
「そもそも不動産屋にどうやって事情を伝えようか」

同棲を始めたいと考えた時にすぐに思い至るこれらの不安なんてもろともしないくらいには「ゲイとしての経験値」を持っている人達なのだと。

けれど、“コッチ”の友人もいなければ親友にさえカミングアウトをしておらず、2丁目などのバーにすら行ったことの無い僕達はそんな経験値を持たずして、同棲を始めた。

まるで小学一年生が因数分解を解こうとしているかの如く、「もっと色々と踏むべき段階があるのでは」と、自分でも思うが案外みんなこんな感じなのかもしれない。
人生のほとんどは勢いで賄えることがほとんどだと思うし、そもそもゲイだろうとなかろうと自分の生き方を確立しているなんて人の方が珍しいだろう。

そんな今の自分を5年前の自分が見たら、「なに染まっちゃってんだよ!」と、辟易とすることだろう。
「バレない様に生きてきたのに、未来の俺めちゃくちゃゲイじゃん」って。

しかし、それが4年前の自分だったら話が変わってくる。
恐らく、「羨ましい」「良かった」と思うはずだ。

そう、ゲイとしてのコミュニティを持っていなかった僕がパートナーと同棲を始めて「歩くカミングアウト」と化したのは、コロナ禍に抱いた感情がとてつもなく大きい。

2020年、3月。

「悪いけど明日休みとってもらっても良い? 休業補償で給料はちゃんと出るから」
仕事中に上司に呼び出され、申し訳なさそうにそうお願いされた。
どうやら、同僚達も同様にシフトの調整を受けている様である。

詳しくは言えないが、当時はコロナ禍の煽りをもろに受ける業界で働いていた。
それでも、まさかその後3年近くもあの様な状況に社会が陥るなんて思っていなかったので、上司からの言葉は神の一声に思えたし、それからも「新村さんちょっと、」と呼ばれる度に心の中ではガッツポーズが炸裂した。

だが次第に、一週間の内に出勤日より休日の方が多くなっていき、だんだん休みが喜べるものではなくなっていった。
そして、当時アマプラで配信されていたクリミナルマインド13シリーズを完走した時、さすがに「やばい」とその異常さを自覚した。

まず金がない。
ボーナスや残業代という概念はふっとんでしまった。

そして何より楽しみがない。
誰にも会えないし、そもそも街自体に元気がない。
アプリはやっていたと思うが、万が一コロナにかかってしまい、その理由が「ゲイのマッチングアプリで知り合った人と会っていたから」なんて様じゃ目も当てられない。

恋人がいたり、家族がいたら少しはステイホームも違うものになっていただろうか。
いったい、いつまでこの生活が続くのだろう……。

そんなことを考えていると、コロナ禍にふと老後の自分が見えてしまった。
鏡に映すよりもハッキリと見えてしまったのだ。

仕事が無いのは定年退職後の生活を思い起こさせるし、休業補償で頂ける最低限の給料は、年金で賄うその日暮らしの様である。
話し相手なんているわけもなく、「東京」と言ったら笑われてしまう様な都会の片隅にある犬小屋みたいな狭い部屋で一人暮らししているさまはこれからもずっと変わらないだろう。

そのことに気が付いてからは、「東京にいる意味」とか「生きていく上での喜びは何だ」とかおよそ答えがでるはずの無いことばかり考える様になってしまった。
なんせ、そんな無駄なことを考えられるほどの時間だけは持て余している。

どんどんと気持ちがしんどくなってきてしまい、挙句の果てに実家へ逃げ帰ることになってしまった。
まぁ、実家生活もやはり慣れず、3ヶ月ほどでまた家を出たのだが……。

その後、今のパートナーと付き合った。
同棲を始めるきっかけは覚えていないが、同棲を決心できた一番の理由は、彼が学生時代の同級生の為、バックボーンが分かっていることの安心感に他ならない。

それは事実に違いないが、コロナ禍の時に感じた一人で生きていくことの寂しさや虚しさがなければ、絶対に同棲なんてしていなかったと思うのも本音である。
白状する。コロナ禍に老後の自分の姿が見えてから、めっきり「孤独」が怖くなってしまったのだ。

だからこそ、「同性パートナーと同棲」なんていう経済的ではあるが生産性は無いものに手を伸ばしてみた。
結果的に、積み上げていった日々が徒労に終わってしまったとしても、その経験値が自分にはきっと必要であると思ったのだ。

あの時、どれだけ時間をかけても導きだせなかった「生きていく上での喜び」も見つかるかもしれない。
……よく、同性カップルの恋愛は学生カップルレベルのそれと変わらないと言われるが、こんな言葉で結びたがるのは心まで未熟な証拠なのだろうか。

まぁ、なんでも良い。
次に進むステップが無い分、対処療法的な日々ではあるが、今のところは大きな喧嘩もなく初の更新まで漕ぎつけることができた。
今はとりあえず、思いやりを持ち合い無事に二人暮らしの3年目を迎えられたことを喜びたいと思う。


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