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005 春と修羅 mental sketch modified


令和史上、最高の曲ができた。

少なくとも、私たちevylockのメンバーはそう思っている。

「心象のはひいろはがねから…」ではじまるこの曲。

歌詞は、宮澤賢治が1922年(大正11)4月8日に着想した、心象スケッチ「春と修羅 mental sketch modified」そのものである。



1924年(大正13)は、宮澤賢治の人生において、最も濃密な一年だったのではないだろうか。

また、この年は北海道と賢治さんの関係においても、重要な意味を持っている。

この年の賢治さんの足跡を簡単に紹介したい。

4月、生前唯一の詩集『春と修羅』を1,000部自費出版。

5月、花巻農学校の教員として北海道へ修学旅行の引率。

7月〜8月、『銀河鉄道の夜』を書きはじめる。

12月、生前唯一の童話集『注文の多い料理店』を1,000部出版。

生前出版された2冊の本は、いずれもこの年に作られた。

ちなみに2冊とも、当時はさっぱり売れず。

賢治さんが買い取り知人に配ったり、東京の古書店ではゾッキ本(格安品)として路上でタダ同然で売られていた。

まぁ、今では一冊100万円以上の価値になっているのだが…。

その『春と修羅』に収録されている作品が、「春と修羅 mental sketch modified」である。


宮澤賢治の作品をそのまま歌詞として用いることは、私にとって大きなチャレンジであった。

そもそも、曲として成立するのか。

でも、どうしても作りたかった。


賢治さんの生き方を最もストレートに表現した「春と修羅」を通じて、その世界観を、もっと身近に音楽として感じてもらう。

近代文学(特に詩歌)への関心、興味を持ってもらい、もっと多くの人で楽しみたい。

中原中也も、富永太郎も、草野心平も、

みんな、賢治さんのこの『春と修羅』に感銘を受けたのだから。

私みたいなものが伝えること自体おこがましいけれど、大好きだから伝えたい。


歌詞としてことばを乗せるにあたっては、賢治さんの実弟である宮澤清六さんの朗読、詩人の吉増剛造さんの朗読を死ぬほど聴き込んだ。

毎日聞いては、一緒に朗読し、お二人の読み方の特徴を刷り込んだ。

ある日、私が通勤に使っている車を運転した妻が、

「ねぇ、普段何聴いてるの??あれ、なんか恐いんだけど…あなた大丈夫??」

と真顔で心配してきた(笑)。

そう、私は完全に「春と修羅」に取り憑かれたのだ。

ひとりの修羅になるべく。


はたして、曲は完成した。



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