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チャッピーの障害を私が受け入れるまでのこと

登場人物                                 チャッピー(お茶でハッピーというお腹にいた頃の息子のあだ名)       ハズバンド(茶農家で茶師)                        ワイフ(元作業療法士)

チャッピーが産まれてから、退院するまでの約3ヶ月の間、NICU、GCUでケアをしている時、思っていたより長く医療的ケアが必要であったり、術後の経過が思っていたより順調ではなかったりということが続いていました。

ワイフは、目の前のチャッピーを可愛く思う反面、もし、チャッピーが自立呼吸ができなくて、呼吸器をつけたまま退院して、一生呼吸器をつけたまま、口からも飲んだり食べたりができないまま、胃ろうで栄養を取りながら生活していくことを思うと、怖くて仕方なかったのです。

毎週一回のペースで、NICUの医師との面談があるのですが、この時は心臓の音が外まで聞こえてるんじゃないかと思うくらい緊張する日で、嫌で嫌で仕方な胃のです。(しかも、ハズバンドは大体仕事でワイフ一人で面談なので一層つらい。。トホホホ〜)

最初の難関は呼吸器を外せるかどうか!

食道と胃をつなげる手術をしているので、その時に呼吸器をつけて、それでも酸素濃度が80台(正常は90後半)になることが多々あって、チャッピーのモニターのアラーム音はよく鳴っていました。

呼吸器を外さないと口から飲んだりする練習もできないから、まずはここが外れるかが勝負!

1回目に外した時、面会に行ったチャッピーは今思い出しても可哀想になるくらい、頻呼吸で顔も浮腫んでいて、苦しそうでした。(涙)

ドクターに何回もこれで大丈夫なのか確認したのを覚えています。

ドクターは外したばかりだから様子を見ましょうという返答でしたが、こちらとしては、苦しそうなチャッピーを前にすぐにでも呼吸器をつけなおして欲しいという気持ちでいっぱいでした。

NICUは面会時間以外でも24時間、電話でチャッピーの様子を聞くことができたので、その日の夜は心配で電話をかけました。

やはり、私たちが帰ったあと、危険だということで再度呼吸器がつけられたのでした。

次の日、面会に行くとチャッピーは疲れて寝ていました。(疲れるだろう。。あんな頻呼吸だったんだから。。)

医師が来て、今回の呼吸器を外すのは時期が早過ぎたのかもしれないので、あと1週間後にまたチャレンジしてみましょうと言っていました。

チャレンジしてもダメだったら、呼吸器での生活になる可能性もあるとも。(トホホ)

1週間。。。また一緒に生活できる時間が遠のいてしまった(涙)

呼吸器の生活。。。飲めない、食べれない、、、。(涙)

誰が悪いというわけでは無いのはわかっているけど、どうしようもない悲しみと怒りがグルグルして、この日は、説明にきたドクターの顔も見れませんでした。

実の母親が一緒にいてくれましたが、流石にこの日は涙が止まりませんでした。

1週間後

2回目の呼吸器抜去の日、ステロイドを使用するなど少し負荷はかかりましたが、無事に呼吸器を外すことができました。(ほっ)

将来の大きな心配と、毎日のチャッピーの変化ひとつ一つが心配で、どこに自分のモチベーションを持っていればいいのか分からなくなっていました。

どんな姿であれ我が子は可愛い

それは間違い無いのですが、目の前で苦しんでいる我が子が少しでも元気になって欲しい。

幸せな気持ちで過ごせるように、楽しく毎日を過ごせるようになって欲しい。

それは、障害に対する差別でもなんでもなく、チャッピーへのエールでした。

飲むこと、食べること。

ウンチをお尻からすること。

生きているなら当たり前にすると思っていることが、全部できなかったチャッピーが、どうやって楽しみを見つけて生きればいいのか、一緒に楽しく過ごすにはどうしていけばいいのか、全く見当もつかず、よくなることばかりを願っていました。

ことのきはまだ、ワイフの障害受容はできてなかったのです。

いつ障害受容ができるようになったのか、それは、きっと一緒に24時間いる状況になってからだと思います。

退院する3週間前から、チャッピーと母子同室で退院に向けて一緒に入院したのです。
その期間、胃ろうからミルクをいれる方法や、人工肛門からのウンチの処理、人工肛門のパウチの変え方(これ超大変!)や入浴の方法、喉のリハビリの方法などなど、医療的ケアを自宅でできるようにワイフの訓練期間なのでした。

この24時間チャッピーと一緒にいると、どんなに医療的ケアがあっても、一緒に笑ったり、抱っこしたり、添い寝したりと幸せな親子時間ができたのです。

それまでは、面会の時だけだから、NICUやGCUのベッドの上のチャッピーとしか過ごすことができなくて、24時間一緒にいれるようになってからと比べると、病人と面会人の関係で、親子としての実感があるようでなかったんだと思いました。
だから、不安ばかりが先立って、生活が想像できなかったんだと。

医療的ケアを習得していくにつれて、ワイフができるようになれば、家で過ごせる、ハズバンドとの3人での楽しい生活が待っていると思うと、呼吸器は取れたもののその他は、全く飲めず食べれず、胃ろう継続、排泄物もお尻からは出ず人工肛門、という状況でしたが退院後の生活が楽しみで仕方なくなっていました。
ようやく障害受容できたなと自分でも感じました。

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