辞めずに続けることが「責任」なのか


責任、という言葉をぎょうさん聞きながら育ってきたわ。大人になったんやから、社会人になったんやから。そういったことを無数に聞いてアラサーまで来てもうた。責任ってなんやねんてことについて考えてみるわ(WIP)

アップサイドもダウンサイドも少ない国産サラリーマン

「責任をとる」「責任感がある」とはなんだろうか、ということをよく考えてきた。「俺が責任とるから!」と言う部長のダウンサイドは、自身の昇進が遅れるとか、最悪クビになるくらい(日本だとセクハラやパワハラしないとあまりないのが現実)。逆にその「責任をと」ってのアップサイドも大してない。日本だろうがアメリカだろうがこれは変わらなくて、まあサラリーマンのダウンサイドってクビになるくらい。ただアメリカの場合はアップサイドとダウンサイドの幅感が広い(ボーナスの上がり幅やクビになる確度の高さ)ので、その「責任」にもう少し実感が増す

日本企業で働いてみたが、稟議というのは曲者だ。往々にして承認ボタンを押すまたははんこを携えている人が、あれこんなに人いたっけ?というくらいズラーっと並ぶ。意思決定者が曖昧になり、失敗しても成功しても誰の判断なのかよくわからない(成功については皆陰ながらアピールするのかもしれないが)。結果として、誰の責任でうまくいったのか・失敗したのかがよくわからず、アップサイドもダウンサイドも享受する人が少ない。最近聞いた二階さんが五輪の開催について言及してたのがこの国の究極系だと思った。「え、あなたその意思決定の権限あったの??」

そして誰も責任をとらない

そうして「誰も」責任をとらない状況が生まれる。結局責任をとっているのは、(上場企業なら)それによって低迷している株価に投資している株主や、もしいれば、創業オーナーだ。総じて創業オーナー社長(特に1代目)にはLast standing manの気概を感じる。吸いも甘いも自分で受けているので、最後は自分、という覚悟がある

そうすると、株を保有しない(=会社全体のパフォーマンスに対して金銭的インセンティブを保持しない)多くのサラリーマンが各職位にて抱える「責任」なんぞファンタジーではないかとも思えてくる

アメーバ経営ではないが、うまく事業体をわけて、KPIというか各人のゴールを明確に定義してトラッキングする、ということがよっぽどできてないと、主体性や責任感をもたせるのって難しい。中の人に話聞いたベースだが、P&Gやコカ・コーラのような会社は、会社としてのゴールの設定から個々人の責任範囲やゴールまでの落とし込みを精緻にやるらしい。最近ジョブディスクリプション(JD)という単語を見ることが増えたが、日本のふわっとした役割分担やゴール設定からJDはかなり遠い感じがする。仕組みやインセンティブを曖昧にして、「君はやる気があるのか」という根性論に帰結させるのは本当に罪深い

辞めることは無責任なのか

少し視点を変えて。ZOZOの前澤さんの退任、「辞めるなんて無責任」という声もきいた。勿論捉え方は人さまざまだけど、資本の論理から考えれば、生き物のように変化する企業という場の中で、その時々で舵取りをするベストな人が舵取りをするのが良い。彼は感性で経営してきて、ファッション等に感性の高い人には広くリーチした。けれど、より広い層にアプローチするのはどうしたらいいかわからない。それは、例えばソフトバンクのようにマスとの接点が多い会社の方がうまくできるのでは。そういった背景での退任・交代と聞いた

彼自身の思考は知らないけど、大切な企業や事業のことを考え抜いた結果、自分じゃないということに気づき、場を譲ることは立派な「責任をとる」ことではないだろうか

日本は意外と儲かってる地方オーナー企業(現代の地方豪族)が無限にあり、自身や親族が経営層を牛耳っているのだが、本当はもっと売上を増やすなりコストを減らすなりして資本をうまく活用できると感じる会社が沢山ある。上場していても創業家が50%以上持っていて流動性はなく、株主からのプレッシャーもないので市場開拓より別のゴルフ場開拓に勤しむ2代目3代目も少なくない。上述のLast standing manもいる一方、(特に2代目3代目で)そこにあぐらを書いている人もいるのろうと邪推する。株式の保有はともかく、所有と経営の分離というか、退いて譲ったほうが良いケースは必ずあるはず

本質的には辞める・辞めないことが論点ではなく、対象や事業や会社において継続的な成長(や、目指している方向の維持)が担保されるかだと思う。辞める・辞めないという形式的なことがセンセーショナルに取り上げられ過ぎている。その人が組織に残る残らないかは結果論であり、Going concernとしての企業体を維持するための思考と施行がなされているか。それこそが本当の責任ではないか

各場所・職位に応じた責任追及を

前段は組織内における個人の責任をどう担保するか、後段は「辞める」ということにフィーチャーしてリーダー職の人の責任のとり方を考えてみた。日本に限らないのかもしれないが、極端な気がする。もっとゆるやかに皆責任と自由を持つといいよね、仕事でも家でも。(おわり)

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