夜明け

 バックスペースキーをカチカチ叩きながら、広がる白の前に茫然とする。
渺茫たる白の中で、カーソルは急かすように点滅する。カタカタ文字を打ち込んではまた、カチカチやる。だいたい八文字分くらいのスペースを、カーソルが反復横跳びのようにいったりきたりしている。

 視界の端で何やら動いたので、そちらを見やる。視線の先にあったのはデジタル時計だった。ゼロ、ヨン、ゴ、キュウと並んでいたものが、
ゼロ、ゴ、ゼロ、ゼロに変わる時の動きだったらしい。そのたったイチ分の変化を観測したことによって、私のゴ識は勝手に周囲に散らばってゆく。

 ドレープカーテンの向こうでやたらと烏が鳴きはじめた。見るとカーテンが少し捲れてしまっている。足首がかゆい。埃っぽい匂いに反応して右の鼻が詰まりはじめた。舌には鼻漏症の、妙な甘さがこびりついている。私のなけなしの集中力の手足と頭を持って、それぞれの方向に引き裂いてしまうようだった。

 もうすぐ朝日が私をさらいに来てしまう。もうずっとこの白い海のうえに漂流し、どこへも行けないままなのに。きっとこんな風に人生も明けてしまう。そんな恐ろしさが、毎晩私を夜に留める。そうして霧に彷徨うだけの昼が、日常が、私の中に染み込んでは白を拡げていく。

 目の前の白の中でカーソルがフタつになっていた。はっとしてまたカタカタ、カチカチやりはじめる。そうでもしていないと、いつしかこの白の中に飲み込まれてしまうようだった。液晶から、窓から。際限なく拡大していく純白に、引っ搔き傷の様なかぼそい汚れが、つけられては消されていくのだった。

本、映画、音楽など、数々の先達への授業料とし、芸の肥やしといたします。