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わたしを表現すること③

今日もまた、美術館にやってきた。
100円で入れる日だったようで、びっくり。

表現することを、極めている人たちの作品がある空間が好きなのだと分かった。パワースポットのような感じで、作品に囲まれていると浄化されるような気がする。感性を取り戻す特別な時間になった。

「わたしもやってみたい」という気持ちがでてきた。素直にそう思えたのは、お土産コーナーで、この本を見つけてしまったからかもしれない。 

ラッコ大好き!わたしも描いてみたい!

その勢いで、

スケッチブック、色鉛筆を入手


そして衝動に突き動かされるままに

ラッコ、かわいい。ちょっと、クマっぽいか。

描くことで、癒された。
表現することで、癒されることがあるとは知らなかった。

絵を描いて、怒られた経験があるからかもしれない。

小学校1年生の時、
絵を左手で書いたら、担任の先生に「ふざけてるのかー(怒)!!」と怒鳴られた。※わたしの記憶からは消去されていたのだが、当時の私は泣きながら帰ってきたと、母の証言。元々左利きだった私は、習字を習うことで文字を書くのは右手、お箸は左手という状況だった。絵は左手、がわたしにとっての普通だったのだが、怒鳴られたことで左手で描くことを封印したらしい。

小学3年生の時、
空の色の出し方で怒られた。好きな藍色を濃いめに使った。それを先生の説明通りの筆遣いで塗ったつもりなのに、なぜかここでも「真面目にやりなさい!」と怒られた。これは、記憶に残っている。空の色が藍色じゃなかったからか?答えは謎に包まれたままだ。

小学校4年生位の時、
公園にある大きな木の紅葉した葉っぱの色を、オレンジ、赤、黄色、茶色、時には青とか沢山の色を使って描いた。ここでもまた「真面目にやりなさい!」とかなんとか、怒られた記憶がある。わたしはすごく気に入っていて、楽しんで描いていたから、否定されてすごく悲しかった。

今、思うことは、先生とわたしとでは、きっと見えている世界が違ったというだけのことなんだろう。わたしには、空の色は藍色に見えていたのだろうし、葉の色は太陽の光をたっぷり浴びてキラキラ輝いているように見えていたのだろう。そして、それをただ自由に表現したかっただけのこと。全くふざけていた訳なんかじゃない。

先生も先生で、教育という枠の中に、あるいは先生の考える風景画というルールの中に、入れてくれようとしていただけのことだったのだろう。

だから、わたしはタイムマシンに乗って、心で泣いてる昔のわたしの所へ駆け寄って、こう言ってあげようと思う。

わたしは、その絵、大好きだよ!

 色使いも、素敵だと思うよ。

自由に表現して、いいと思うよ。


ってね。

そして、今のわたしにも言ってあげようと思う。


 
 


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