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他の人を所有することはできない

朝起きて携帯をみたら、
早朝5:33に母からの着信があったことに気がついた。

ドクンッ

心臓の音が大きくなる。

こんな早い時間帯に着信が入っているなんて、何かあったのだろうか。母から連絡が来るということは、父になにかあったのか?

恐る恐る折り返してみると、、、


「ごめん、まちがえた。なんでもない。」


あーっ

怖かった。


なにもなくて、よかった。


この出来事から、両親に何かあった時の心の準備が全くできていない自分自身に気づかされた。ずっと元気でいて欲しい。だけども、そういう訳にもいかないことも分かっている、つもりではいる。

わたしが生まれてからずっと存在していた人が、いつかは、いなくなってしまうなんて、そんなことがあっていいのだろうか。

大切な人を失う喪失感なんて、想像すらしたくもない。
耐えがたいことだ。

誰かを所有することなどできないのに、
喪失感を味わう気でいるだなんて。
そもそも論として、矛盾があるようにも感じられる。

「この世で一番大事なものを、所有することなく、抱きとめること。」
「誰も他の人を所有することはできない」

パウロ・コエーリョ 『11分間』

誰しも、他の人を所有することなどできないのだから、自分の悲しみのことだけを心配していても仕方がないのにね。

結局のところ、喪失感を感じるであろう自分自身が可哀そうだね、と思いたい、そして可哀そうな人として扱われたいだけなのかもしれない。

この世で一番大切な人を、所有することなく抱きとめること。

これを体現できたら、喪失感とも折り合いをつけられるのかもしれない。

できるできないの問題は別にして、
頭の片隅に置いておこう。


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