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創造性はこちらから追いかけるものではなく 創造性(や良いアイデア)が人を選ぶのだそう

何を書いたらいいのかわからない日は「手や指に考えてもらおう」という言葉を思い出して、今日も書き始めている。

その方法は、結構わたしに合っているような気がする。というのも、頭の中で一所懸命考えたことを文章にしたときに「大したことないな、自分」ってなったり、自分のできてなさに落ち込む原因となるような気がするからだ。

手や指に動いてもらうのであれば、わたしの意志とは関係なく動いてくれたものと捉えることで「書いたことに対して責任を持たなくってもいいんじゃぁないだろうか」みたいな、無責任な気持ちも出てくる。

「手や指のせいにしてしまおうか」だなんて、そんなバカな。

いくら手や指に動いてもらうってことをしていたとしても、結局のところは脳が考えているのだよね?

いや、実際のところは、どうなんだろう、、、

指が動くから、脳が動き始めたのか。
それともやはり普通に考えて、脳が指令を出したから指が動いているのか。

感覚としては、両方がそれぞれ半分ずつ位の責任感を持って働いてくれているようなイメージで指を動かす。それが心地がいい感じがする。

どちらか一方に責任を取らせようとするのではなくて、責任の在りどころを半々にすることで両方ともリラックスして動くことができるんじゃないだろうか。


リラックスしているとき、能力が開花されるとか、パフォーマンスが向上するなんてことを聞いたことがある。だから、脳と指がリラックスできるような今の状況は、文章をスラスラ書きたいときには望ましい状態なのかもしれない。

「創造性はこちらから追いかけるものではなく、
 創造性(や良いアイデア)が自分を選ぶ」
そうです。

つまり、「こうすれば絶対に良いアイデアが出る」というものではなく、「創造性とは準備をしている人にだけ、ある確率で降りてくるもの」と言えます。

たとえ、創造性や発送が降りてこなくても、ダメだと諦める必要はなく、「今日はそんな日だったのかな」「でも準備だけは、しっかりしておこう」と気軽に構えていればいい。

『仕事に活かすアート思考』感性×論理性の磨き方
『Big Magic : Creative Living Beyond Fear』

行動を起こすことなく、頭の中でグルグルと思い悩んでしまう時に気をつけたいことは、長い時間その場所に居続けること。

今日のnoteを書いていて気がついたのだけれど、頭だけで悶々と思い悩むことは、脳だけの負担が重くなってしまい可哀そうだと思うからだ。

脳だけに考え続けさせることをしてしまうと、脳が悲鳴を上げてしまう気がする。だから、単純に脳の負担を減らしてあげたいという気持ちが出てきた。

脳だけが考え続けて疲れてしまう前に「そうだそうだ! 手や指にも考えてもらおう」と気がつくことで、ノートにペンで気持ちを書き出してみたりするとか、絵を書いてみるとか、塗り絵をしてみるとか、ジグソーパズルをしてみるとか。あるいは、足にも動いてもらって、とにかく散歩してみるとか、ちょっとランニングしてみるとか。

脳だが考え続けなければならないような状況にするのではなく「からだを動かすこと」を意識して、負担を分散させてあげよう。

「からだを動かす」ことばかりをしている人は、「からだを休ませてあげる」ことを意識して、負担を分散させてあげよう。

そうしたら、なんとなくいい感じの状態になって、創造性や良いアイデアが降りてきやすくなるんじゃないかな。


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