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「昨日の敵は 今日の友」となった話

今日は何を書こうかな。

昨日は、老人ホームで出会ったあるおばあちゃんと孫の話を書いた。書いた途端に、私とおばあちゃんのことを思い出した。

おばあちゃんと小学生の頃の私は「メロンソーダフロート好き」仲間だった。(母は、コーラフロート派だったから、隔世遺伝だな。)

おばあちゃんと私は「戌年生まれ(いぬどし)」仲間だ。しかも、ちょうど60歳差なので、「壬戌(みずのえ・いぬ)」仲間でもある。

おばあちゃんは1922年(大正11年)生まれで、生きていたら102歳。

晩年のおばあちゃんは、私以外の孫やひ孫が会いに行っても「あら~、〇〇~」と言って、いつも私の名前を呼んでいたそうだ。

従妹のお姉ちゃん達、その子供が会いに行っても、私だと思って私の名前しか呼ばなくなったようで「全く、妬いちゃうわ~」と言っていた。

私はそれを聞いて、心の中でとても嬉しく思っていた。

だって私たちは「メロンソーダフロート好き」仲間だし「壬戌(みずのえ・いぬ)」仲間だもんね~、と。

そんな仲間であるおばあちゃんと私だが、一時期、私が一方的にバチバチに火花を散らしていたことがあった。

なぜそんな意地悪なことをしたのか、当時は分からなかったのだけれども。
というか、それが意地が悪いということも、分からなかったのだけれども。

小学校2~3年生くらいの時だろうか。北海道に住むおばあちゃんが1週間くらい家に泊まりに来た時のこと。

その日は、母が外出する日で「お昼ご飯は冷蔵庫の中にあるのをおばあちゃんと食べてね」と言われていた。

私は、自分の分だけ冷蔵庫から出して食べた。おばあちゃんには「冷蔵庫に入っているから、自分で出して食べてね」と伝えた。たぶん、ぶっきらぼうな言い方で。だって、自分で出せばいいじゃん、と思ってた。

でも、おばあちゃんは、自分で冷蔵庫から出して食べなかった。

おばあちゃんは、自分の娘の家とはいえ「人様の家の冷蔵庫を、勝手に開けて食べる」ということができない人だった。

そんなの、私の知ったこっちゃない。
なのに、母が帰ってくるなり、今まで怒られたことのない位の、怒鳴り声を浴びせられた。

それは、悲痛な叫びのようでもあった。

私は、激しく動揺した。
そんなに悪いことをしたんだろうか。

「だって、、、だって、自分で冷蔵庫開けて食べてって、言ったもん」

遠慮して冷蔵庫開けられなかったんだから、出してあげればいいでしょう?

なんで、そんな意地悪なことするの!!!

おばあちゃんが、可哀そうでしょう!!!


母はたぶん泣きながら、
そして私をギュッと抱きしめながらこう言った。

おばあちゃんが悲しいと、
お母さんはもっと悲しいの。

もしあなたの子どもが、
お母さんに意地悪したら悲しいでしょう?

そう言われて初めて、自分が酷いことをしてしまったのだと気がついた。

私にとってお母さんは、とても大事な人。
お母さんにとって、おばあちゃんはとても大事な人。

「おばあちゃんを悲しませること」=「お母さんを悲しませること」という図式が、ピカーっつと光って腑に落ちたのだ。

(それまで気づきもしなかったのは、どうかと思うが・・・)

母は、なぜわたしがおばあちゃんに意地悪したのか、本質的な所に気がついたのかもしれない。

理由は簡単だ。
おばあちゃんが家に来て、母が子供に戻ったみたいにおばあちゃんに甘えていて、私は大好きな母をおばあちゃんに取られてしまったような気持ちになっていたのだ。おばあちゃんに敵対心を持ったのだ。

とまぁ、そんな出来事があって、そのあと、どんなきっかけで仲間意識が芽生えたのか?? 

「昨日の敵は、今日の友」的な感じで、
コロッと仲良しになったのかもしれない。


あぁ、きっと理由はこれだ。


おばあちゃんもわたしも、
お母さんのことを大切に思う仲間だ。

と、気がついたからだろう。


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