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「ゲーム1日30分」の制限を課された結果、ゲームを仕事にした自分が、香川県の条例成立に思うこと

香川県で「ネット・ゲーム依存症対策条例」が成立して、18歳未満には1日60分(休日は90分)というゲーム利用時間の"目安"が設けられることになった。

自分には,子供時代に「1日30分」という厳しいルールを親から課された結果、かえってゲーム好きが深まり、バイトで入った雑誌編集部のゲームページ担当になった経験がある。ゲームを制限されたおかげで、ゲームを仕事にした、といったところだ。

「ゲームを仕事にする」という、子供の頃の自分が聞いたら喜びそうな結果にはなったが、今も「1日30分」ルールのことを思い出すのは、あまりいい気分ではない。親への不満が湧き上がりつつ、そのルールに対して自分が取った行動にはうしろめたさも感じて、感情の処理に困ってしまう。

香川の条例でも、自分のようなケースが生まれるだろうと思っているので、当時のことを書いてみることにした。

「1日30分」ルールを言い渡されたのは、小学6年生の時だった。自宅でファミコンを遊んでいた時間は常識的な範囲にとどまっていたと思うのだが、中学進学が迫って、親は思うところがあったのだろう。

禁止の理由を何回聞いても、友達の家は最短でも1日1時間だと訴えても、「遊びすぎ。1日30分まで」という返事。別に学校の成績が悪いわけでもなかったし、野球部に入っていたから運動もしていた。テレビを見る時間はそこまで厳しく制限されていなかったし、小説を数時間読んでいても、強く咎められることはなかった(「勉強もやりなさい」くらいのことは軽く言われたが)。なぜゲームだけがダメなのか……。

子供なりにいろいろと考えた結果、「やっぱり1日30分制限はおかしい」という結論になった。それは人生で初めて「親の言っていることは筋が通っていない」と感じた瞬間だったと思う。それまでにも不服に思うことはあったが、親の言い分もなんとなく分かったので、渋々ながら従っていた。だがこの時ばかりは「1日30分はおかしい。従わない」と決めた。

自分はそれまで、親の言うことを割とよく聞く“いい子”だったし、「親は正しいものだ」という思いが強かったので、この決意は一大事だった。「従わない」と決めたとき、何かものすごく悪いことをしている気がして、鼓動が速くなったのを覚えている。

少々大げさに言えば、これは親から自立する第一歩だった。いずれその時は来たのかもしれないが、理不尽な制限を無視することによって、自立が早まったと感じている。

「従わない」とは決めたものの、親を無視してゲームを続けていたら、ぶん殴られるかファミコンを壊されるのは明らか。そこで自分はお年玉で携帯ゲーム機(ゲームボーイ)を買い、親に隠れて遊ぶことにした。幸いにも自分の部屋は家の2階にあり、親がやって来るのは階段を上る音ですぐ分かったので、バレにくかったのだ。

こうして、「好きなだけゲームを遊べる環境」を手に入れたのだが、ゲームボーイがあったところで,我が家では購入など論外だったスーパーファミコンタイトルの飢餓感は消えない。中学を卒業し、高校に入学した自分の目標は、「一人暮らしをして、誰にも邪魔されずにゲームを遊ぶため」の大学受験だった。

それなりに名前の通っている大学でなければ、親が「近場の大学に入って自宅から通え」と言ってくるかもしれない。そう思った自分は、必死で受験勉強に打ち込んだ。高校3年生の1年間は、学校の授業に加えて(ゲームボーイで息抜きしつつ)5時間ほど自宅で勉強していた記憶がある。今の自分にはとても無理だが、目標を持った奴は強いということだろう。

そんな受験勉強の甲斐あって、無事に都内の大学に合格。一人暮らしを始めることになった自分は,引っ越し作業を終えるとゲームショップに直行し,スーパーファミコンと「ドラゴンクエストV」を手に入れた。その後もPlayStationやセガサターンを立て続けに購入し、寝食を忘れてゲームをプレイし続ける日々。自由にゲームができない日々を送った反動で、完全にゲーム好きをこじらせていたと思う

ゲーム漬けの大学生活を送ったので、その後バイトとして入った週刊誌の編集部でも自然とゲーム好きが知られるようになり、ページを任された。その経験を生かし、今もゲーム記事の執筆や編集を手がけている。仕事は楽ではないが、編集や原稿執筆は好きだし、ゲームが題材となればなおさらだ。自分では天職だと思っている。

そんな生活の中で、たまに「あのとき『1日30分』ルールを言い渡されなかったら……」と考えることがある。ほかの家と同じような「ほどほどの制限」だったら、親に隠れてゲームボーイを買うこともなかったし、スーパーファミコンあたりでゲームを卒業して、こじらせることもなかったのではないか。しかし、もしそうだとすると、大学受験を必死に頑張れたか、今の仕事に就けたかは分からない。

そういう意味で、「あの時厳しく制限されて、よかったのかもしれない」とは思う。だが、「1日30分」の制限自体が正しかったとは思わない。「正しくないルールを言い渡されたおかげで、天職に就くことができたかもしれない。逆に正しいルールだったら、嫌々仕事をしていたかもしれない」と想像するのは、なかなか気分が悪いものだ。

このモヤモヤは、親から「1日30分」ルールの真意を聞き出して,それに納得すれば消えるのかもしれないが,あまり乗り気はしない。親を責めるようでなんとなく聞きづらいし、(今なら笑い話になるかもしれないが)「親を騙していた」ことに変わりはない。親も親で、ゲームを制限したことには触れてこない。自分がゲームの仕事に就いた今となっては話しづらいのだろう。決して親子の仲は悪くないのだが、お互いが踏み込めない領域ができてしまっている。

あの時本当にすべきだったのは、ルールを一方的に押しつけることでも、押しつけられたルールを無視することでもなく、お互いが納得いくまで話し合うことだった。上で書いたように、自分は理不尽な制限を無視することで自立が早まったと感じているが,親と意見を戦わせることで自立できたらもっと良かっただろうし、隠し事や心のモヤモヤは減ったと思う。

香川県の条例成立で心配なのは、親が「県で決まったから」とルールを一方的に押しつけた結果,子供と溝ができてしまうことだ。親子の間で「言わないこと」「言えないこと」があるのは、やはり寂しい。そんな家庭が増えないことを願う。

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