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事実は一つしかないが、真実はいくつもある

大手新聞社に記者として勤めている大学の先輩には、就職活動のときも、就職してからも、いろいろとアドバイスをもらった。その中で印象に残っているのが、この言葉だ。

「事実は1つしかないけど、真実はいくつもあるから」

サッカーの日韓ワールドカップについて、A新聞は「スタンドでたくさんの日の丸が振られていた。誇らしい」,B新聞は「韓国も日本を応援してくれた。両国はいっそう親交を深めるべきだ」といった社説を載せたことを教えてくれた後だった。Aはまさに先輩が勤めていた新聞で、先輩自身もどちらかと言えば“右寄り”だったが,Bの社説にケチをつけるようなことはなく、どちらも真実だと言ったわけだ。

同じ出来事から導き出された2つの社説のどちらにも一理あることは理解できた。それでも「新聞記者は真実を追究するもの」と思っていた自分には,「2つの真実」を認めた先輩の言葉が、自虐的というか、冷めたものに感じられたのを覚えている。

だが、あれから20年近くの時間が経った今になると、先輩は別に冷めていたわけでも、自虐的になっていたわけでもなく、記者、ひいては社会人として生き抜くための心構えを教えてくれたのだろうと感じる。

東日本大震災や、まさに今起こっている新型コロナウィルスの感染拡大など、社会が混乱しているときには多くの人がSNSでさまざまな主張をする。まさに「真実がいくつもある」状態だ。真実は人それぞれだが、中には悪意を持ったものもあって、それに踊らされてはいけない。

そんな時にやるべきなのは、「一つしかない事実」を見極めること。主張の根拠になっていることの確認だ。事実を無理矢理ねじ曲げていないか、そもそもフェイクではないか……。そこをはっきりさせれば、受け入れるべき真実と、そうではない真実が見えてくる。

先輩は日々の取材を通して、事実を確認することの重要さを知っていたのだろう。そして、確かな事実に基づいた主張であれば、賛同できなくても否定はしない、という考えに至ったのかもしれない。

自分は新聞記者ではなく編集者になったが、今も先輩のアドバイスは生きている。ニュース記事を作るときだけでなく、1つのネタからいろいろな企画を考えるときにも、「事実は一つしかないが、真実はいくつもある」という言葉を思い出す。

あのアドバイスは、言葉を変えるなら「一つのことに囚われるな」「物事を多面的に見ろ」といったようなことだろう。先輩とはしばらく会っていないが、機会があったら確かめてみたい。もしかしたら先輩の本意とは違うかもしれないが、「自分なりの真実」としては認めてくれるんじゃないかと思う。



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