見出し画像

僕は葬式デストロイヤー。

僕は、人生で葬式に二回参加したことがある。

一回目は父方のひい婆ちゃん。二回目は、母方のひいばあちゃん。
僕にとって、この二人はあまり話し合った記憶も無いが、葬式に参加した。
今月は、その話を書こうと思う。

一回目の、父方のひい婆ちゃんの葬式は、僕は心と脳が崩壊するほど泣いていた。この時は小学生だった気がする。

年を重ねれば、心と考えが整えるが、小学生の自分にとって人が死ぬということはショックが大きすぎた。隣にいた女性も泣いていた。弟の顔は覚えていない。
そして、そこで驚いたのは葬式に来た人の数だ。僕は会ったことのない人だらけで驚いた。多分何十人かはいた。そこで、ひいばちゃんはどれだけ愛されていたかを知った。

そして、葬式が終わり、最後は火葬。
ひい婆ちゃんが、金属に囲まれた部屋に入れられ、骨になって出てきた。
その骨を丁寧に説明する葬儀屋さんに恐怖を覚えた。
「この骨は○○ですね。非常に綺麗に残っていますよ~!」と。
こいつは何人も殺して骨の形を覚えているヤバい奴だと認識して、話を聞いていた。そして、自分もひい婆ちゃんの骨を骨壺の中に入れる初めての経験をした。案外楽しかった。ただ入れるだけだから。
そして、初めての葬式が終わった。

そして、僕は大学生になって次は父方の祖父が亡くなった。しかし、僕は参加できなかった。だが、今年お墓を訪ねた。立派な墓地であった。
ありがとう、じいちゃん。人生で一番笑ったのは、じいちゃんがNARUTOの27巻の表紙を真似した時が、人生で呼吸が出来なくなるほど笑ったのはあの時が初めてだったと思う。あの動画、もう一回観えねぇかなぁ。

二回目の葬式は、母方のひい婆ちゃんの葬式だ。
僕は、会った記憶もないし、喋ったことも無いと思ったが、保育園の時に訪れたと家族は言っていた。この時の葬式に行ったのは、4,5年生。

この時猛烈に恐怖を感じ、今でもトラウマになる程の傷を負った。
それは、ひい婆ちゃんが棺桶に入る前の状態で会ったことだ。
僕は、目の前に死体があると認識し、僕は近づけなくなった。
体が硬直し、今にも涙が出そうな恐怖と早く抜け出したい緊迫感に追われた。あの記憶は今でもこべりついている。
でも、母はひい婆ちゃんに死化粧を行い、「ひい婆ちゃん、向きが右に行くね。」と言っていた。その時僕は思った。母さんは滅茶苦茶凄いと。

そして、葬式が始まり、坊さんがお経を行った。
僕は、てっきり坊さんは木魚を叩きながら、お経を唱えるかと思ったら。いきなりシンバルを叩き始めたりしていた。僕は、一瞬こいつ舐めているのか?と思ったが、きちんとした道具だと後から聞き納得した。

そして、僕はこの葬式でやらかす。それがタイトルに当てはまる。
葬式には逃げては通れないお焼香がある。


銀魂で葬式のルールを学んだ。

お焼香は上の通りである。
この時の僕は、葬式のルールは全く分からなかったし、葬式中だから聞くことも出来ない。だから、焼香をやる人を見よう見まねで覚えていった。

そして、自分の番。まずお辞儀。そして、焼香を握った。
殆どの人は焼香は一つまみですると思う。しかし、自分はこの時、少量では死んだ人に対しての礼が足りないと感じ、一握りの焼香を持って、相撲取りが塩を投げるかのようにばらまいた。今思えば、織田信長が死んだ父にした光景である。

本当の大バカ者だ。葬式中だが、クスクス笑い声が聞こえるほど凄いことをしたらしいと自信満々の小さい僕であった。今でも、この話は話題になる程僕の存在を轟かせた。

それが終わり、芸人のスギちゃんが好きな親戚のおじちゃんに付きっきりで飯を食い、ノンアルコールビールを飲み、すぐに吐き出したり初めてキャビアを食べて味が分からず、こんなものを好き好む奴は馬鹿だと思った。
その後ひい婆ちゃんは火葬され、又骨になった。その時いた小さな女の子は骨になった姿に恐怖を覚え、中に入れないと言っていた。
僕は、その逆で骨を早く骨壺に入れたいという楽しみになっていた。だが、その時はあまり箸を触らなかったと思う。

これが、僕と葬式の話だ。これ以降葬式には行っていない。しかし、いつか僕にも葬式に行く日が必ず来る。その時も多分何も出来ないし、涙を流すかもしれない。だが、焼香の使い方はきちんと分かってから、向かおうと思う。                          おわり

おまけ
二回目の葬式の前の日、母、父、弟、僕で車の中でどこの場所で飯を食おうかという話になり、僕と弟は久しぶりの外食でワクワクしていたが、母が「今日は疲れたから、ガストでいいわ。。」と言っていた。

その時の記憶は何故かある。意味のある会話ではないが、母は疲れていた。
車に映った電灯の光は僕を照らしていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?