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2021.09.08 中学校の話



半ば無理矢理な方法でいじめを乗り切った小学校時代


中学校では、なぜかキャッチフレーズができ、それが全校に広まった。
1個上から2個下まで、私の知名度は90%を超えていたと思う。この文章が、盛っていることにならない、異常な状況だったのだ。


たまにいじりがいきすぎたこともあったけど、それはまあまだ中学生だから、で許せた。上から目線だが、そっと上から目線をすることで許せるのなら悪くないだろう。


3年生のとき、文化祭の劇でそのキャッチフレーズをアレンジし披露した。会場は沸いた。
合唱祭ではみんなの歌声に感動して、指揮をしながら泣いた。後に映像をみんなで見た時は本当に恥ずかしかった。


成績は良かった。1年の時は音楽と体育と美術以外5、2、3年は体育以外5とかだったと思う。
90点以上とれなければならない、という強迫観念にも似たようなビリーフが自分の中であった。
成績がここまでとれたのは進研ゼミのおかげである。
それでも学年1位は取ったことなかった。同学年に天才がいたのである。後にこの天才は塾無しで進学校、京大に進んだ。ガリ勉、という訳でも無かった私よりも勉強していないようだった。このとき天才に出会っていなければ、私はずっと勉強が出来る人として生きていかなければならなかったのかもしれない。


部活は、運動部の部長をしていた。大して能力が高かった訳では無かったが、成績の良さ、よく言えば生真面目、悪く言えば頑固なところが評価された。
元々リーダーはよくやっていたが、実際に人を動機づけたり、集団をまとめたり、ということは初めてだったので、苦戦した。
小学校の班長とはお話が違っていた。
とにかく、色々な人に相談して乗り切った。今思えば相談しすぎたかもしれない。でも、それに救われた。何度辞めようと思ったか分からないが、無事大団円を迎えられた。


受験は、そこまで苦戦しなかった。
都道府県で、トップクラスの進学校を受験した。特進扱いされているコースこそ不合格だったものの、その下のコースには合格出来た。
もう、いじられることはこりごりだと感じていた。普通の人間として、勉強出来ることがおかしいと思われない環境で生きたかった。
中学3年生の時に、模試で良い成績をとる界隈に憧れた影響も大きかった。全国1位、東大現役といった響きがかっこよかった。進学校に行ったら、こういう界隈に出会えるかもしれないと思った。
変わっている人が多い、ということも嬉しかった。変わっている人の中なら、自分が変わっていると思われない。今度こそ普通の人間として生きられると思った。
進学塾お手製の模試や駿台模試を受け、東大や京大は難しいと感じていたが、こういう人と繋がれる体験を夢見て、進学校に進むのであった。


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