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2021.09.07 小学校の話


中学年までは、成績が良く、いじめられていた、洗練されていない子どもだった。
それくらいしか覚えていない。
いじめられたことも、詳細は覚えていない。嫌すぎて忘れてしまったんだと思う。
確か、悪口と暴力はあった。画鋲関連はなかったと思う。お手洗いで上から水をかけられることもなかったと思う。
小さい頃は祖母に可愛いと言われて育ったから自分は可愛いと思っていた。でも、可愛いなんてちっとも言われなくて。キモい、ブスというような言葉ばっかり浴びせられた。
残酷ないじめのニュースと比べれば、本当になんてことないものだった。それでも辛かったのだから、いじめを受けている方はどれだけ辛いのだろうかと思い、胸が痛む。


4年生のとき、あまりにも嫌になって、母に学校に行きたくないと打ち明けた。
それもあまり覚えていないが、学校に連絡しよう、ということになり、母と担任とで、話し合った。
結局、お知らせの時間、という悪いことをみんなの前で言ってみんなの前で謝罪をとるという時間の中で言うことになった。
そして言った。あの頃から、確かに嫌な想いをすることは減ったと思う。


でも、それは、本当にいじめが無くなったことになるのか、疑問に思った。


私がすっきりしなかったからだ。
私がすぐ切り替えられる性格なら、これで解決、となったのだと思う。
ただ私はそうではない。すごく根に持つし、人に勝ったと思えないと気が済まない自分もいる。
いじめられなくなっただけじゃ意味が無い。いじめに勝たなければならない。と思った。


色々考えた。やられたらやり返す?それならやり返した側も怒られる。
じっと耐える?いつか終わりがくる。
勉強で勝つ?もう勝っているし、勉強が出来ることは、なぜか凄いことにならない。勉強は出来ないより出来た方が良いのに。


そうして思いついた。笑っちゃったり、戸惑っちゃうような言葉で返したら良いんだと。
悪口を言わせなければ勝ちなんだ。いじめた人より私の方がみんなを笑わせられると思わせたら勝ちなんだ。
奇しくも、私が苦手だった人が、私に「リアクションが大きい」と言ったことがきっかけになった。
リアクションが大きいなら、大きいリアクションでみんなを笑わせたらいい、リアクション芸人みたいに振る舞えば、私の方が人気者になるかもしれない。
ついでに、ブスと言われたら私は可愛いと、自信を持って返してしまおう。
今思えば、小学生の自分がやるにしては自分自身を犠牲にしすぎていたと思う。
こういうことをしたらいいよ、なんて絶対に言えない。もっと方法はある。


でも、そこから私は変わり始めた。
5年生のころから、明るくて、変わっているというイメージをもたれるようになった。
暴力は大分なくなっていたと思うし、悪口言われても大して傷つかなくなった。
悪口言われても傷つかなくなったのは、こう返せば良い、という答えを身につけられたのもあるし、別の私を身代わりにして傷ついて貰ったというのもある。
いずれにしても不健全だ。
こういうアイディアに行き着くところが、私が変わっていると言われる根源なのだろう。


学年を超えていじられるようになったのは辛かった。
私のことをよく知らない人のいじりは時に限度を超える。いや、知っている人でも限度を超えるのだから、知らない人なら尚更超えやすい、という方が正しいだろう。
それは中学まで続いていく。でも、それも身代わりの自分をどんどん強くしていくことで乗り切っていった。


不健全だけど、今の私があるのは、この経験が一役かっていると思う。
自分をつくったから、新たな自分自身を知ることが出来た。今まで以上に積極的になった。でも、引っ込み思案で物静かな、4年生までの一面も、死んだわけじゃなかった。
中学・高校の時だがその二面性に苦しんだこともある。でも、その二面性があるから私なんだって思えるようになった。


いじめに勝ったと思うか?という質問には、勝った、と返したい。
けど、これがいじめに勝つ方法か?という質問には、違う、と返したい。


私の場合は、いじめがたまたま自分の力になった。
いじめが人生を変えるきっかけになった。
ただ、それは他の人にも当てはまるわけじゃない。
しなくても良い経験、いじめられる経験はしない方が良い。
いじめに関して、上手いことが言えなくて申し訳ない。


ただ、これを読んだ方には、いじめはなくならない、誰だっていじめられることもあるしいじめることもあるということを念頭に置いて、様々な方と話をしてほしい。

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