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チームの中で極立つ「個」になるために

きわだつは、通常「際立つ」と書くと思うんですけど、際立つためには何かを「極め」なければならないと思い、ちょっと造語を作ってみました。

練習を自分で考える=ほっとかれてる?

ある日、陸上部の友人がこんなことを言っていました。

「大学に入って練習メニューを自分で考えなきゃいけなくなったとき、モチベーションが下がった。何をやればいいのかわからなかった。」

確かに、大学に入っていろんな経験やノウハウを知っている陸上部の先生にいろいろ教えてもらえると思っていたら、ほとんどの練習メニューを任される。

ちょっと損をした気分になるなあ。と安易に考えていました。

その友人が言うには、高校のときは先生が考えてくれたメニューをこなす日々だったそうです。

どうして陸上の選手たちは大学生になると、優秀なコーチがいるのにも関わらず練習のほとんどを自分で考えなければならなくなるのだろうか。と考え始めたのが今回のテーマです。

個人にあった練習メニューは個人ごとに違う

ちょうど先日、たまたま陸上部の練習を見る機会がありました。

確かに誰に指示されるでもなく、自分で決めたメニューを淡々とやっていました。

その姿を見ながら感じたことは、自分の内側に意識を集中させて、どう動いているのかを確認しながらやっている。そんなイメージでした。

なぜ陸上部は大学になって練習を自分で考えるようになるんでしょうか。

これは恐らく、「個人にあった練習メニューは個人ごとに違う」という考え方をもとにしたときに、人に与えられたいわゆる「グループ単位で有効なメニュー」は「個」を突き詰める陸上競技では理に叶っていないからなのではと思いました。

100m競争の練習で全員が同じメニューをやっていては、「そこそこの記録」は出るかもしれませんが、ぶっちぎるような記録はおそらく出ないでしょう。

自分の内向きの感覚を鋭くさせるためには、自分でコンディションを感じながら、自分にあった練習を組み、内省して、また計画する。

このサイクルが欠かせないのだと思います。

動きを洗練させるとできることが増える

僕たちハンドボールはどうだろう。とふと思い、練習風景をイメージすると、意識は常に自分の外。刻一刻と変わる状況に対して対応することが第一で自分の動きがどんな感じになっているのか確かめる余裕は「チーム練習中」にはないのかもしれないと思いました。

前回のnoteに書いたように、自らが表現する「ハンドボールの動き」(個人戦術力)は個人技術力に依存します。

すると、ほとんどの選手は自分の「動き」いわゆる「技術」を洗練させるために、自分の内側の感覚に注意する時間が必要になってくるのかもしれません。

こちらがその記事です。合わせて読んでいただけるとありがたいです。

チーム練習でも選手それぞれの目標設定は異なる

「このフェイントができるようになりたい」
「このシュートが打てるようになりたい」

このような個人技術は、チーム練習とは別に自分のための時間を用意する必要があると思うのですが、チーム練習においても個人で意識できることがあり、それぞれに掲げるべき目標は異なります。

与えられたメニューをただこなすのではなく、そのメニューの意図(コーチがどんな目的で組んでいるのか)を見透かしてみたり、その中で自分で小課題(シュートを中に跳んで打つなど)を設定してやってみる。

それらがチームの中、グループの中で際立つ「個」を育むために大切なことなんだと思っています。

お恥ずかしいことに、僕自身そのことに気がついたのは大学3年生になってからです。

「どうやったらこのメニューは簡単にクリアできるのか」
「このメニューの意図はなんだろう」

そんなことを考えつつ、自分はこうやって攻略してくぞ。と自分なりにイメージを持ちながら練習に励むと、それまで見えてこなかった成果や新しい課題が見えてくるかもしれません。

今日はこれくらいで!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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本日もお疲れ様でした!

筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽




2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。