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大人から「期待されること」で起こる様々な現象


親戚のおじさんに褒められるのが素直に嬉しかった

多くの方は小さい頃親戚の家に遊びに行った時、おじさんおばさん、あるいはおじいちゃんおばあちゃんから褒めて貰った経験があると思います。

私もよく小学校低学年の頃、親戚のいる福岡に遊びに行っておじさんとよくゲームをして遊んでいました。Wiiが出たばかりの時期でボウリングのゲームにハマっていた僕はおじさんに勝負を挑み、練習の成果を遺憾無く発揮し勝利しました。

その時おじさんは大人ながらに悔しそうにしていて、私のことを褒めてくれた記憶があります。(おじさんはその日私が寝てる間に猛特訓を積んでその日以来私が勝てる日が来ることはなかった。)

他にも、それまで出来なかった縄跳びが少し跳べるようになったり、珍しい言葉を使ったりするとニコニコしながらこう言われた記憶があります。

「こうちゃんはそんなんも出来るん!将来が楽しみやね〜〜。」と。

そんな言葉が嬉しくて、褒めて貰うことが純粋に嬉しくどんどん新しいことに挑戦するようになったような気がしています。

しかし、過度な期待や子供の意にそぐわない期待はその子の価値観や世界観を壊してしまう恐れがあると考えています。

今回はそんな「期待」について書いていきます。

期待されると期待通りのことをする(逆もまた然り)

小さい頃、褒められたり期待されると自己肯定感が上がったり、スポーツや勉強に対するモチベーションが上がったりする現象が起こるそうです。

周囲の人間がその子に対して「良い印象を以って接する」ことで起こり、アメリカの教育心理学書であるローゼンタールは実際に教師が期待をかけた生徒とそうではない生徒の成績に明らかな違いがあったことを発表しています。

この現象は心理学的な用語で「ピグマリオン効果」というそうです。

ジュニア期の指導現場において、特段目立った子供に対してコーチが前向きな声をよくかけることでその子のモチベーションや競争においての優位感が高まる、要するに「自信につながる」場面がよく見られます。

反対に大人が子供に対して「悪い印象を以って接する」(見込みがないと思い込み、あまり手をかけないなど)ことで、その後の成長が阻害されてしまうという「ゴーレム効果」という概念もあり、これらの現象から関わる大人の重要さがよくわかります。

その期待は誰のためのもの?

小説『恋愛中毒』の主人公は作中で、幼少期に両親から過度にかけられた期待に応えられなかった出来事がトラウマとなり、それがその後の人生にネガティブな影響を及ぼすことになります。

作中の一コマで主人公は小さい頃、親の勧めで劇団に入っていました。

主人公の親は自身が若い頃夢だった「役者になる」という願望を無意識のうちに主人公に投影し、本人が望んでいない期待を無理矢理押し付けてしまっていました。

同じような期待であったとしても、子供のためではなく自分のための期待を背負わせてしまうことはピグマリオン効果とは逆の効果を引き出してしまう危険性があります。

その子は本当に「才能がある子」でしょうか?

ジュニア期では大人に比べて年齢による相対的な差が現れやすい時期です。

どういうことかというと、4月2日生まれ(1学年の中で最も遅く生まれる)と4月1日生まれ(1学年の中で最も早く生まれる)では約1年の違いがあり、年齢が若いほどこの1年の差が大きいという現象です。

10歳と11歳の子供の体格・体力差を比較してみると、身長は男子で6.9cm、女子で6.6cmの差があり、50m走のタイムでは男女ともに0.4秒の差があります。

どちらも11歳の方が優れていることが2007年の研究でわかっています。(首都大東京体力標準研究会,2007)

つまり、目の前にいる体格がよくてスピードのあり、大人が大好きな優れているように見える選手は、実は周囲の子供より身体的な成熟が進んでいるだけに過ぎない可能性があることを忘れてはいけません。

目に見える成果だけで、期待し、その期待によってその選手だけ試合の出場時間を確保したりすることは健全な育成ではないと思います。

何度も書いてきた言葉ですが、私がお世話になったコーチは言います。

「どんなに優れた指導者でもジュニア期の誰が将来トップレベルで活躍する選手になるかどうかわからない。」

子供ながらに感じた違和感の原因とは。

子供ながらに大人の優しいだけの言葉には違和感を覚えていました。

その子供がどう成長するか、どんな選手に成長するかより、自分が育てたこと、発掘したことを主張したいがためにかけた期待は、その子供にとって息苦しさを感じる原因になると思います。

指導者と選手である前に、人と人との関わりです。

本当に自分のためを思ってかけてくれた言葉かどうか、子供たちはわかります。

ハンドボールを続けるかどうかに関わらず、関わった子供たちには幸せになって欲しいですし、いろんな選択肢を持った上でベストを尽くして欲しいと思っています。

そのために私に出来ることってなんなのか、これからも考え続けたいと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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本日もお疲れ様でした!

筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽


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2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。