軽率なアドバイスは、ときに暴力になる
以前、カウンセリングの講座で、「大事なのは傾聴。アドバイスばかりしていると、クライエントの自信がなくなってしまう。あくまでも主体となるのはクライエント(来談者中心)。クライエントが問題と向き合うサポートしましょう」と講師の方が仰っていた。
そのときは、イマイチわかってなかったのだが、やっと「ああ。こういうことか」と腑に落ちた。
それは母との会話でだった。
私は最近、ずっと家にこもって仕事をしていて、気が滅入っていた。だから気分を変えようと、荷物をまとめて「家で仕事してるのしんどいから、宿で仕事してくるわー」と言った。
すると母が「仕事がしんどいんだったら繊細さんのコンサルティングとか受けてみれば?」と言ってきた。
「どこにそんなイライラするところがあるの?いいお母さんじゃん」と言われそうだが、私が気になったポイントは2つある。
1つ目は、私に繊細さんというレッテルを貼ったこと。私は自分でも繊細だなあと思う。でもそれは自分で自覚することであって、人から「あなたは繊細ですね」と言われるものではない。
2つ目は、「私が気分を切り変えるために旅行に行く」という解決策をとろうとしているにもかかわらず、母が自分本位なアドバイスをしてきたことだ。
小さいころからいつも母は、自分の意見を押し付けてくる。「そっちの大学よりこっちの大学の方がちゃんとしてそうだよ。」「危ないからやめなよ。」
そうやって私に「あなたは間違っている。私のアドバイスを聞いて」というメッセージを送ってくる。でも私にはそんなアドバイスは必要ない。
私は好きなときに好きな場所で仕事したいからフリーランスになったわけで、気分を変えるために旅先で仕事ができるのは、今の私の特権なのだ。私は自分にとって心地よい環境を整えるために、自分で行動しているのだ。それを母にとやかく言われたくはない。
このエピソードで、カウンセリングの基本となる「来談者中心療法」とはこういうことかとやっと理解できた。
私の問題を考えるとき、その話の中心は私であるべきなんだ。母が私の問題をわかった気になってはいけないのだ。私と母は違うのだから。
わかった気になって不用意に発言すると、「あなたは不完全。問題を自分で解決できない」というメッセージが凶器となって、相手の心に突き刺さるのだ。
だから私は人と接するときには、心にとめておきたい。軽率なアドバイスは、ときに暴力になるのだと。
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