パブコメ送りました:湖南市人権総合計画(案)

市民の声を市の政治行政に届けたい人、やまもとです。

湖南市の、人権総合計画(案)に関するパブリックコメントが実施されていたんです。この案は、以下のようなもの。

そこでわたくし、意見を提出しました!以下の内容です。さー、恥ずかしいけどさらすぞ~!

人権は「分野別」のみではないこと
 本案のp.5には、市民が「他者の権利と自己の権利の意識にずれが生じている」との記述があり、「自己の権利に無自覚」であることの可能性が指摘されています。この部分に関して以下の提案をします。
 本案の「分野別施策」のセクションでは、以下の「分野」が示されています。つまり、部落差別、女性、子ども、高齢者、障がいのある人、外国人、感染症・患者、性の多様性、インターネット、災害、個人情報、さまざまな人権(独自の歴史・文化を持つ人々、刑を終えた人、犯罪被害者とその家族、ホームレス、北朝鮮当局による拉致被害者、人身取引、東日本大震災に起因する差別)といった事項が列挙されています。これらは確かに人権の保障を実現する上で考慮すべき重要な事項だと考えます。
また、本案p.7には人権感覚を磨く際に「社会的に弱い立場」の人との相互理解が重要だと記されています。確かに社会的に弱い立場の方々にとって人権が非常に大きな役割を果たすと考えます。
 他方で、これら「のみ」が人権のあり方ではありません。本案のp.3にもあるとおり、日本国憲法・国際人権規約等の根本的な法規範によって規定され、また、その後も民主的なプロセスと司法の作用によって諸々の「新しい人権」も認められるに至っています。
 本案の「分野別施策」にあるような状況に該当しない人は、特段に人権が認められない、というわけではありません。これらの「分野別施策」を強調してしまうと、それと特段関係ない市民は「自分の権利」に無自覚になりえるでしょう。そこで、こうした「分野別施策」と関係がなくても、どの人にも人権は権利として認められているのだという点を、p.5をはじめとする計画の各所で強調することを提案します。
政治行政にかかわる権利
 本案のp.5には、市民が「他者の権利と自己の権利の意識にずれが生じている」との記述があり、「自己の権利に無自覚」であることの可能性が指摘されています。この部分に関して以下の提案をします。
 本案の「分野別施策」のセクションでは、諸分野の施策の計画が示されています。これらは重要なものです。他方で、これらだけが重要な人権ではありません。
 とりわけ、行政の計画であるからには、一般市民の、「政治行政に関して知る権利」と、「政治行政に参画する権利」について、対応が求められます。
 湖南市においては、例えば、情報公開請求に対して実際には理由がないのにいい加減な理由をつけて部分公開としたり(これは社会福祉課の所管で生じ、その後審査請求により撤回されました)、市民からの政策形成に関する質問への回答を拒んだり(これは社会福祉課の所管で生じました)、一般市民が審議会に参加して市職員の対応の違法性について質問すると「有力者」と言える市民が質問を妨害したり(これは障がい者支援に関する計画策定委員会で生じました)するなど、一般市民の「政治行政に関して知る権利」と「政治行政に参画する権利」は十分に保障されていません。
 このような背景から、本計画の「分野別施策」として、一般市民の、「政治行政に関して知る権利」と、「政治行政に参画する権利」について、保障することを明記し、実際に計画的によりよい権利の実現に向けて取り組むことを提案します。
「わがまま」との批判への反論
 本案のp.5には、市民が「他者の権利と自己の権利の意識にずれが生じている」との記述があり、「自己の権利に無自覚」であることの可能性が指摘されています。この部分に関して以下の提案をします。
 市民が自分の権利に自覚的になれない理由の1つは、権利を主張することが「わがまま」だと他者から批判されるのを恐れるからだと思われます。そうではなく、権利とは誰もが有するものであり、その主張は正当なものであり、仮にその主張が他の権利と衝突する場合には、その調整が図られることになるだけで、主張すること自体が悪ではないのだ、ということが市民に浸透すればよいと考えます。おそらくはこれと類似する考えが、p.6に記されていると思われます。
 しかし湖南市においては、主張することそれ自体が悪だと見なされがちです。湖南市の審議会においても、一般市民の要望に対して「有力者」と言える市民は「何でもかんでも入れてもらおうとするのはよくない」などと言い放っていました(これは障がい者支援に関する計画策定委員会で生じました)。会議出席者の権利として、意見を述べて主張することすら、妨げられるのが湖南市の現状です。
 以上の背景から、権利を主張することが「わがまま」だという批判は誤っているという旨を、p.5からp.6の付近に追記することを提案します。
普遍的な権利の行使の実例
 本案のp.5には、市民が「他者の権利と自己の権利の意識にずれが生じている」との記述があり、「自己の権利に無自覚」であることの可能性が指摘されています。この部分に関して以下の提案をします。
 私は2020年に滋賀県の図書館協議会交流会に参加しました。そこで講師の方から、図書館に図書を要求することは国際人権規約などに基盤を置く正当なる権利である、という旨をお聞きしました。これを受けて私は、県立図書館に直接に、あるいは湖南市立図書館を通じて、しばしば図書をリクエストしております。この際いずれの図書館も、外国語書籍も含めて、極めて広範にリクエストに応えてくださっています。これが権利の行使です。
 こういった事例によって、本当に誰もが権利を享受しており、そして行使できるのだ、ということを理解できるのではないかと考えます。こういった事例を可能な限り、本案p.5の付近か、新しい項を設けるなどして、記載することを提案します。
「変な人」への偏見
 本案のp.14に、人権教育の中で「日常に潜むマイクロアグレッション」「アンコンシャスバイアス」への気づきを促す旨の記述があります。この取り組みの方向性は高く評価されるべきだと考えます。
 他方で、こうした「ささいな・無意識の差別・偏見」の対象にはどのような人も当てはまりうる、という点に注意が必要です。私はよく「変な人」「非常識な人」というレッテルを貼られ不利に扱われますが、それは他の人がしない行動様式を持っているからというだけ(例えばジャージで普段過ごしているとか、仕事の内容を話さないなど)の理由であって、単なる差別・偏見です。そしてこの場合に「変な人」「非常識な人」だとして奇異の目で見て不利に扱うということこそは「ささいな・無意識の差別・偏見」に該当します。
 このように、「日常に潜むマイクロアグレッション」「アンコンシャスバイアス」の対象は本来多様であることを、本案p.14か関係する部分に明記することを提案します。
たらい回しにしない相談窓口
 本案p.27以降に、湖南市で実施している相談窓口の利用者が多くないことが記載され、相談態勢を改善するような方向性が示されています。
 人権施策に限らず、公共政策に関係する事柄におおよそ当てはまると思いますが、公共団体に相談したい方々というのは、困っている方々であることが多く、すでに心を痛めて精神的につらい状況であることが想像されます。こうした方々にとって、相談した場合に「たらい回し」が生じると、余計に心理的なダメージを受けてしまうことがあるでしょう。なぜなら、「あ、それは対応できないんで。(ここでは)」という、半ば「突き放した」ようなメッセージを受け取ってしまうからです。
 そこで、人権施策に限らず、湖南市としての相談窓口を(縦割りにならないように)一本化し、その総合窓口ですべてを受け止め、必要なら各部署の職員と「一緒に」総合窓口職員が対応する、という態勢をとることを提案します。これは何も夢想ではなく、実際に一部の公共の組織で用いられている方式です。私が経験した中で最も適切な態勢をとっているのは京都府立医科大学附属病院の患者相談窓口です。参考になさってください。
 このような背景から、人権施策に限らない市の相談窓口の一本化と、相談者を「たらい回し」にしないこと、そしてそれをアピールすることで困っている方々の相談につなげるという取り組みを、本案p.27以降に明記することを提案します。
湖南市の計画に関する情報がない
 本案のp.43には、障がいのある方への施策として、「市民一人ひとりの意識と行動において、人権の尊重を徹底し」ていく重要性が記されています。また、2021年に「第三次湖南市障がい者の支援に関する基本計画」を策定し、これをもとに施策の展開を図る旨が記されています。
 これらの点について、湖南市の取り組みが不十分であることを指摘せざるをえません。まず上記の「第三次湖南市障がい者の支援に関する基本計画」の策定にあたり、会議内で出された一般市民の意見を公表しないようにするなどの対応が見られ、会議が極めて閉鎖的であることが示されました。これでは、「市民一人ひとり」が理解して自分ごととして障がい者の方の人権を考えていくことは困難です。また、「第三次湖南市障がい者の支援に関する基本計画」について本案で言及されており、これが施策のもととなることが書かれているものの、この計画は、ウェブサイトにも見当たらず(少なくともすぐに見つけられません)、市立図書館にも所蔵されておりません。すなわち湖南市は、同基本計画を市民に知らせるつもりがありません。これでは「市民一人ひとりの意識と行動において、人権の尊重を徹底し」ていく基盤がありません。市が独善的に施策を進めようとしているように見えます。
 そこで、湖南市の障がい者施策の形成過程の透明性を高め、関係する計画を市民にわかりやすいように知らせ、市民の理解と協力を得る態勢をつくっていく旨を、本案p.43付近に明記することを提案します。
車を持たない人の権利
 本案のpp.40-41には、高齢者の方が住み慣れた地域で安全に快適に暮らしつづけるよう、取り組んでいく旨が記されています。また、本案pp.50-51には疾患に関係する差別について述べられています。これらに関連することですが、高齢者の方などに限らない事柄を以下で述べます。
 先日私は、外国籍の友人の体調が悪かったため、湖南市にある診療所に連れて行きました。診療所は友人がCOVID-19に罹患していることを疑い、夜に発熱外来に来るように告げました。再度、夜間に友人とその診療所に行きましたが、中には入れず、しばらく待っているように告げられました。この間、15~20分程度、私たちは寒い屋外で待ちました。ようやく診療所に入れたのちに、外が寒かったので体調が悪化しそうだと伝えると、診療所の方は「あ、車じゃなかったんですか」という旨をおっしゃいました。(なお、この友人は診療所の扱いを不当だと感じ、外国人差別を疑っています。)
 このように、湖南市においては、車を持っていることが当然であるかのように諸所で扱われ、車を所持していない人に著しい不利が生じております。高齢者の方に限らず、車を持っていない方々も多くいます。車を持つことは義務ではありません。車を持つ人に依存する義務もありません。車を持っていなくても健康に過ごす権利が誰にでもあります。
 そこで、まずは本案のpp.40-41付近に、高齢者の方について、車を持っていないことが不利にならないような取り組みを進める旨を記し、また本案pp.50-51付近に、車の有無にかかわらず医療機関から適切な対処を受ける権利があることを記した上で、「さまざま人権の尊重」の項などで、改めて、車を持たない権利の保障と、これが実現するような取り組みを記すことを提案します。
事案の公表
 本案pp.18-20やp.28などには、行政の職員などが率先して人権について理解を深めるべきことが記されています。こうした取り組みは真に期待されるところです。さらに、p.18には「これまでの差別事件を教訓として実践的な研修も必要」とあります。この記述がなされることも高く評価されるべきだと考えます。
 他方でこれらに加えて、差別事案やそれに類する事案について、特に公共セクターが関わるものについて、積極的に公表することが、同種事案を防止するために極めて有効です。この際、もし差別された方の同意が得られるならば、特段に差別した者を責めるよりも、この例を教訓として生かすことができるという、良い方向での意味づけをすると、その事案を生かしやすいと考えます。人は誰もが過ちを犯すものですが、それを認められない(無謬神話)、あるいは生かせない(頑迷)という態度は、人権状況を改善しません。
 そこで、本案pp.18-20付近などに、差別事案やそれに類する事案の公表に努める旨を記すことを提案します。
「関係団体」の監督
 本案pp.21-22には、湖南市の関係団体に関する記述があります。この点について述べます。
 他の自治体でも同様ですが、湖南市も、市の施策の多くにおいて、実際の運営を、非公務員からなる外部の団体に委ねています。市の職員であれば、服務に関する規則などがかかり、公共サービスを提供するにふさわしい人権上の理解・行動を期待することができます。他方で、非公務員からなる団体においては、特段にその業務に関して十分な規律があるわけではありません。ここから、「市民は公共サービスを受けられると考えて、それにふさわしい職員がいると思って『団体』の人間と接触するが、そこで人権上問題のある対応をされ、公共サービス全体への不信感と恐怖心を抱く」ということが生じえますし、実際に私はこれを経験しました。
 人権保障の観点からも、より広く市民に対する公共サービスの質の確保ためにも、市が施策を「外注」する際には、当該団体構成員の服務について、公務員と同等に、不適切である場合のペナルティを明確化する必要があります。また、それを受け入れられない団体に「外注」をすべきではなく、これによって「外注」できる先となる団体がなくなるようなら、増税してでも市が直接サービスを供給しなければなりません。(もとより、市場原理で高質化されえない業務を「外注」すべきではありません。)
 そこで本案pp.21-22付近に、市が施策を「外注」する際には、当該団体構成員の服務について、公務員と同等に、不適切である場合のペナルティを明確化する旨を、明記することを提案します。
パブコメの方法
 本案の最後に、今後の人権総合計画の見直しの際の方針を記述することを提案します。以下の点が必要です。
 このたびのパブリックコメント制度による意見募集において、ウェブサイトで入手可能だった様式は、PDFファイルに限られ、他の意見募集の際には存在したWord形式のファイルはありませんでした。これでは、例えば自力で文字を書くことができず、音声入力システムを用いて入力したいという方にとっては、意見提出の際の大きな障壁となってしまいます。これは政治行政に意見を述べるための人権の保障を危うくします。
 なお、意見を「メールの本文に書けばよいのだ」という場合には、その旨を意見募集の際に明記すべきだと思われます。
 今後の人権総合計画の見直しの際には、パブリックコメントの際に、現状よりもさらに多様なツール・方法での意見提出を可能にするべく検討する旨を、明記することを提案します。

さあ、この思い、届くんでしょうか。。

最後の論点については、またもう1つ記事を書きたいです。

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