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『LIGHT HOUSE』で気づいた、僕らは「悩談」をもとめてるのかもしれない件

さいきん「相談できない」問題について考えてる。

「相談にのります」ってひとは、たくさんいる。でも、「相談があります」って言えるひとは、それに比べてすくない気がするんだけど、どうでしょう?

いや、僕がこわもてだから、相談しにくいのか?と一瞬思った。けど、まわりでもけっこう「相談できる人すくないっすよね」といってるひとがいたので、どうやら傾向としてあるみたいだ。(ほっ)


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誰かの相談を受けることは前のめりになれるのに、自分が誰かに相談することにはむずかしい。

それって、いったいなんで??

「相談できない」問題の背景では、いろんな要素がからまりあってる気がする。相手に迷惑なんじゃないか、へんに助言されたくない、わかった気になってほしくない、そもそも悩みを説明できない、男らしさが邪魔をして弱さを出せないetc...

そんな要素が足にぐるぐるからみついて、相談への一歩のじゃまをするのだ。

いろんな要素がからまりあってるから、処方箋もこれ!とひとつだけにしぼることがむずかしい。こんがらがったイヤホンをちょっとずつほどいていくみたいに、絡んだところをみつけて、地道にほどいていくほかない。


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さいきんNetflixで配信されてる『LIGHT HOUSE』が話題になってた。星野源さんと若林正恭さんが悩みを吐露しあい、聞き合う、という番組。この番組が、「相談できない」問題を考えるうえでちょっと希望を与えてくれた。

『LIGHT HOUSE』のなにがいいって、専門家とかがいて、へんに正解を提示しないのがいい。お悩み相談会、というより、お悩み会。かといって、ただの雑談とちがって、話してるトピックはそのひとの生きづらさに通じてるのが、またいい。

アドバイスを求める相談も、ときにはだいじ。でも、いまはアドバイスとかじゃないんだよな〜、というときもある。かといって、「まぁそんな暗い話せずに、たのしく飲もうよ!」とあしらわれると、なんか腹立つ。このやろう、こっちだって真剣に悩んでんだ!と。

いうなれば、雑談と相談のあいだにある談義のかたち、がほしい。
悩みについて、助言するでもなく、軽くあしらうのでもない会話、がほしい。

僕らが(って勝手にまとめるけど)もとめてるそれを、
「悩談」
とでも名付けておこう。

僕は悩談がしたい。
「ちょっときいてよ〜」ではじまり、「あ〜、なんかわからんけど、スッキリした!」で終わるくらいの会話がしたい。

相談っぽくなると恥ずかしいんで、ドライブとか焚き火とか銭湯とか、口実をつくるのがミソである。僕が「あ〜焚き火してぇな〜」って言い出したら、「悩談してぇな〜って思ってるんだな」と思っていただいてさしつかえない。


あ〜焚き火してぇな〜。


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