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カメラを向けても「写さない」のって大事。けどむずい。

子どものころ、砂場ではじめてスコップを持つとお城とかトンネルとか、あれやこれやつくりたくなったり、台所ではじめてピーラーを持ったらニンジンやら大根やら、あれやこれや剥きたくなったりした経験ってありません?

人間は、便利な道具を持つと使いたくなっちゃう。カメラも同じだ。持つと撮りたくなっちゃう。


でも、ある程度撮ることを続けてきてわかってきたことのひとつは、「撮るのじゃなく、撮らないのがむずかしい」ということ。

目の前にチューリップがあったとして、それをすべてを画角に入れて撮ることは簡単。だけど、そうすると、写真を見る側が入り込む余白がなくて、つまらない写真になってしまう。

だからぐーっとクローズアップして花弁だけを撮ったり、花を写さず地面にうつる花の影を撮ったり。そうすることで、見る側が入り込む隙がある写真になる。

…と、頭ではわかっていても、なかなかむずかしいんだよなー。「写す!」っていうエゴが出てしまうのだ。


けれども、映像とくらべたときの写真の特徴のひとつは「写さない」ことだ、たぶん。時間の経過や表情の変化なんかを「写さない」ことができる。これってすごいことなので、いかさない手はない。

「なにを写すか」っていうエゴをかろやかに脱ぎすてて、「なにを写さないか」っていうことに意識的になりたいのである。



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