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つながりがもてはやされる時代に、あえてつながらない。「つながりデトックス」のすすめ

人とつながることに疲れてしまった。

僕は2ヶ月ほど前まで、人と会いまくっていた。「ファシリテーション強化月間だ!」と意気込んで、毎日のようにイベントでファシリテーションをしていたのだ。それに、飲み会や僕が参加する側のイベントも多くて。

そしたら、気づかないうちに気持ちをすり減らしていたらしい。1ヶ月ほど前から、ぷっつりと「人と会いたい」という気持ちがなくなったのだ。

最近はイベントの仕事をすることもほとんどなく、飲み会やイベントに行くこともなく、家でゴロゴロしたり、Netflixを見たりする日々。

そしたら、こうなった。

なんだか、生きやすいんだけど、意欲がわかないんですよねぇ。noteの更新も止まっちゃったし。

これはどういうことなんだろうなぁ、と考えたんだけど、哲学者の竹田青嗣さんがいう「他者の二重性」という考え方に、この状態をひもとくヒントがある気がする。

竹田青嗣さんによれば、「他者」は二重の本質的性格を持っているらしい。「他者」は、自分にとっての「脅威の源泉」であると同時に「エロス(生の歓び)の源泉」であるというのだ。

人は誰でも、「こう生きたい」という思いがあるけれども、「他者」はその想いの邪魔をすることがある。僕はラーメンが食べたいけれど、友人はカレーが食べたいと言っていて、意見が合わずにもやもやする…なんてことは日常茶飯事だ。

そんなふうに、「他者」は「こう生きたい」という思いを持つ自分にとって脅威になる。一方で「他者」と一緒にいることで得られる安心感や、承認されることで得られるよろこびは、自分だけでは満たせない感覚だ。

こんなふうに、「他者」は「脅威の源泉」であると同時に「エロス(生の歓び)の源泉」である。そのジレンマに、左右の腕をひっぱられて「いてててて!」となっているのが、今の僕であるらしい。


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僕がそんな状態であることをTwitterに書いたら、「それは燃え尽き症候群(バーンアウト)では?」と知り合いが教えてくれた。

燃え尽き症候群は、それまで精力的に仕事に打ち込んでいた人が、燃え尽きてしまったかのように仕事への情熱や意欲を失ってしまう状態のことで、医療職や介護職のように「物」ではなく「人」が相手となる職種に多くみられるみたい。


竹田青嗣さんの「『他者』は二重の本質的性格を持つ」という考え方に引きつけていえば、自分の中で「脅威の源泉」としての「他者」が大きくなり、「エロス(生の歓び)の源泉」としての他者が小さくなっている状態と言えるかもしれない。

燃え尽き症候群にたまになるという方に、そういうときどうしているのかと聞いてみたら、次のようなことを意識しているとのこと。

●毎月の人に会う日数を決めておく
●一人でカフェに行って甘いものを食べ、コーヒーを飲みながらぼーっとする
●アロママッサージや家でゴロゴロする

なるほどなぁ。

①予防として、他者と接する量を制限する
②燃え尽き症候群になってしまったら、ひたすら自分のためのことに没入する時間をつくる

ということが有効なのかもしれない。②は、「つながりのデトックス」とも呼べそうだ。

たとえば①では、TwitterやFacebookなどのSNSを見るのをほどほどにするのもだいじなんじゃないかな。すくなくとも僕は、SNSを見すぎると、たくさんの「他者」と接しすぎることになって、ソワソワしてしまう。

②では、僕の知り合いのように自分なりの「つながりのデトックス」の方法を知っておくといい。僕の場合、銭湯でサウナに入って、風呂上がりにぼーっとすることや、登山に行くことかな。そういえば最近、銭湯も登山も行けてなかった。

こんなふうに、つながりがもてはやされる時代だからこそ、あえてつながらないという選択肢をポケットにしのばせて、いつでも取り出せるようにしておきたい。「いつでもこいつを取り出せるんだ」という安心感があるからこそ、「他者」とつながれるようになるはずだ。

「つながりのデトックス」は、逆説的だけれども、他者とつながるための技法でもある。



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