リモートワークで置き去りにされる、僕らの「からだ」
オンラインでの会話に「なんか足りない感」がある。
いや、オンライン超便利なんですけどね。満員電車も乗らなくていいし、空いた時間で本読んだり自炊したりできるし。離れた友人と久しぶりに会話できているのも嬉しいし。
なので「総論ハッピー」なのだけど、各論「うーむ」と言う部分もある。「なんか足りない感」があるのだ。(ありません?)
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「うーむ」のひとつは、「からだ」が置き去りにされていることだ。
認知脳科学の観点からも、からだを置き去りにしたやりとりだとコミュニケーションが希薄化して、共感がおきにくいらしい。
人間は脳の「ミラーニューロン」のはたらきで、相手の身体の動きを見て共感したり、気持ちを推し量ったりできる。だけど、オンラインだとそれが難しいのだ。
だれとでも手軽にコミュニケーションがとれるネット社会によって、一見、コミュニケーションが濃密化したように見えながら、実は、身体を置き去りにしたコミュニケーションではそれが逆に希薄化し、身体レベルの共鳴による共感が起き難くなっていることを、認知脳科学の観点から、あらためて指摘することができます。
(引用:共感を得るのは身体表現をともなったコミュニケーション | IT・科学 - Meiji.net(メイジネット)明治大学)
コミュニケーションっていう文脈じゃなくても、リモートで仕事をすることが増えると、身体を使う時間が減る。会社まで歩いたり、誰かと身体を会議室に持ち寄って対面で話したり。
これまで「めんどくさ!」と思ってたことも、じつは身体を使うことが仕事の手応えにつながっていた側面もあるじゃん! って気づいた人も多いんじゃないか。
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リモートワークは効率はいいけど、「身体性」が置き去りにされて、「なんか空虚……」って人が増えていく。
なので今後、リモートワークする人のなかで、「身体性」のある半径100mくらいの圏内のしごと、つまり「ローカルワーク」に対するニーズも増えていくと思う。
たとえばリモートでプログラミングの仕事をしながら、住んでいる地域のまちづくりに関わったり、畑仕事をしながら、身体性のバランス保つのだ。
「Think Globally,Act Locally」になぞらえて言えば、「Communicate Remotely,Work Localy」つまり、離れてコミュニケーションし、身近ではたらく」みたいな働き方だ。
僕の周りでも、家庭菜園を始める人が増えているのは、そういうことかもしれない。
……なんていう小難しい話を抜きにしても、単純に運動不足になるのは心身の健康によろしくない。僕も鏡をみて、ぽっこり出たお腹にちょっとショックを受けた。
リモートワークが広まって、コミュニケーションという意味でも健康という意味でも、「からだ」に目を向けることがこれまで以上に必要になってきそう。
運動しなきゃなー。
サポートがきましたって通知、ドキドキします。