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「ゆたかな器用貧乏」になるということ

「器用貧乏」という言葉はネガティブなふくみがあって、ぼくなんかも器用貧乏であることにコンプレックスを持っている。けれど、近ごろは「ゆたかな器用貧乏」という生き方に憧れていたりする。

星野道夫さんの講演録『魔法のことば-自然と旅を語る-』のあとがきで、池澤夏樹さんがこう書いていた。

自然について、人生について、トータルな知恵を養うことで幸福が得られるとすれば(ぼくはそう信じているわけだが)、一つのことしかできない人や一つの作物しか育たない土地はとても不利だ。(301頁)

ぼくたちが求めるのが、利潤の追求ではなくて幸福(well-being)の追求だとしたら、池澤夏樹さんの指摘は胸にとどめておいていいんじゃないか。

NHKの『プロフェッショナル-仕事の流儀-』を観て多くの人が「こんなふうになりたい」と思うように、ひとつの仕事を突き詰める生き方には魅力がある。ぼくも以前は、「いつか、なにかの分野でプロフェッショナルになりたい」という気持ちを持っていた。

いまでもそんな気持ちはあるけれど、一方で、ぼくは1枚の布から服をつくる方法だったり、大豆から味噌をつくる方法だったり、星座を見てすすむ方向を知る方法だったりを知らないことに、うしろめたさのようなものを感じるのだ。

人生について、トータルな知恵を養うこと。

これはある意味、「器用貧乏」になるということだともいえるんじゃないか。そして、池澤夏樹さんはそこに、幸福な人生への道すじを見出していた。

そんなわけで、「ゆたかな器用貧乏」になりたいと思う。



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