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写真にこめられた“祈り”について。川原和之さんの写真展で感じたこと

先日、川原和之さんの展示へ伺った。

ご自身の祖父母と娘さんを撮り続けている川原さんの写真は、以前から惹かれていた。月並みな表現をつかってしまえば、「まなざしのあたたかさ」が伝わってくるのだ。

写真には関係性があらわれる。

僕も家族写真を依頼されて撮ることはあるけれど、川原さんのようには撮れない。対象と深い関係でむすばれた人でしか撮ることができない写真というものがある(逆に、きっと近しい人では撮れない写真もある)。川原さんの写真は、まさにそれだ。

展示会場で川原さんは、「関係性を撮っているんです」とおっしゃっていた。それは川原さんとおじいさん、おばあさんとの関係でもあるし、おじいさん、おばあさんと孫である娘さん、そして川原さんと娘さんの関係でもあるんだろう。

川原さんは、インタビューでこうも語ってる。

ファインダーの中の娘に幼き日の自分を投影しながら、祖父母の想いを娘に伝えたい、祖母が生きた証を残したい、と思いながら撮っています。

「【DEAR MY PEOPLE 愛する人を撮る #3】川原和之 | GENIC編集部 | GENIC|ジェニック」

写真には関係性があらわれる。それは、たしかにそうだろう。

けれど、川原さんの言葉があらわしているのは、「写真は時間や空間を超えて、関係性をつなぐものにもなり得る」ということなのだろうな、とも思う。

過去の自分と今の自分。今の祖父母と未来の子ども。そしてもしかしたら、自分が会うこともない、とおい未来の子どもたち。

本来出会うことがない人と人を、写真がリアリティを持ってつなぐはずだ。そんな“ 祈り”のような想いが、あたたかさとなって、みる人に届くんじゃないかな。思えば僕が心動かされる写真は、そんな “祈り”のような想いがにじみでているようなものなのかもしれない。

ほんとうに、「家族を撮る」ということの意味について考えさせられる、素敵な展示でした。興味ある方はぜひ。


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