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意味のある死より、意味のない豊かな生を
「人生の物語を、ともにつくりたいんです」
と、以前僕は言っていた。生き方編集者は、人生の物語を一緒につくる存在なんです、と。
これ、いかにも聞こえが良くて、言っていて「めっちゃ良いこと言ってる俺〜」って、悦に入りそうになる。
でも最近、「人生の物語」と言うのをやめた。なんか、「物語」っていう言葉にたいして、しっくりこなさを感じてしまったのだ。
僕が敬愛する是枝裕和監督は、「意味のある死より、意味のない豊かな生を発見する」と言っている。
僕自身はあまり意味というかたちで生をとらえていません。なぜかというと、生に意味を持たせると、その裏側に、意味のある死、意味のない死という考えてが出てくるような気がするからです。
(引用:『中央公論』2001年11月号)
生に意味を持たせる。死に意味を持たせる。そのことの暴力性。
だから最近は、「人生の物語」よりも「人生のドキュメンタリー」の方がしっくりきてる。
「ドキュメンタリー」だって、人の生に意味づけをしていく営みに他ならないのだけれど。「物語」よりも、善悪とか美醜とかの価値判断を保留するようなふくみがある気がしてるのだ。
僕は文章や写真や、映像を通して、「人生のドキュメンタリー」をつくっていきたいのです。
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